コラムの最近のブログ記事

七年戦争〜オリンピックに抗するための



 ちょうど先日、ソウルオリンピックの際の立ち退きに密着したドキュメンタリーを見た。聖火がたった3分通るという理由で立ち退きを強いられた住民は、生活を共にしながら抵抗を重ねていた。それでも、彼らがみずから見つけた移転地にたてた小屋は役所によって無下もなく破壊される。
これは過去に起きたことに過ぎないという人もいるだろうが、近年、世界各都市で五輪開催を背景に、ジェントリフィケーション、地価高騰によって、あるいは、治安管理の強化や「環境浄化」の名のもとに、数百万人の貧しい

人々が追い立てられた。それを予見して、今回のオリンピック開催地候補であったイスタンブールでは暴動が起きた。
 

これから、私たちは先のソウルと同じような光景を目の当たりにするだろう。そう、2020年に開催される東京オリンピック。誘致の祝祭の裏には、惨たらしい現実が存在している。
既に、今回との東京での招致期間中にも排除が起こった。3月に国際オリンピック委員会(IOC)が東京に視察に訪れた際も、視察団バスが通る道沿いにある野宿者のテントや荷物が撤去されるなど、露骨な嫌がらせがすでにはじまっている。また、オリンピックスタジアム新築のために、都営住宅に暮らす高齢者たちも立ち退きを迫られている。
 

私は、二度の行政代執行を跳ね除けた江東区竪川河川敷公園にすむ野宿の仲間を支援する「竪川を支える会」に参加している。この江東区は、役所内に五輪準備部署を設けるなど、都内でも郡を抜いてオリンピックに前のめりの自治体である。東京開催が決定すると、区長は「江東区を『オリンピック都市・江東』にする」「『おもてなし江東』を実現する」とのたまっている。
 

その区長が率先して行ってきたのが、野宿の仲間の追い出しなのである。行政代執行や大量の警察とガードマンによる暴力的な強制排除、フェンス・鋼板による差別的な隔離など人権侵害を繰り返してきた。どうやら、この区長はよっぽどスポーツが好きらしい。「こども達や高齢者が日常にスポーツを楽しめる機会が、不法な利用により奪われることは決してあってならない」とも発言している。彼にとっては、野宿者の生活より「スポーツ」のほうが大切のようだ。これまでの都内の野宿者への追い出しを見ていくと、これはなにも江東区に限ったことではない。渋谷にある野宿の仲間が多く住む宮下公園をナイキパークとするために、排除が行われたのは、つい最近のことである。
 

実際、国立競技場の建て替えに伴い、明治公園が潰されることが発表されている。来年7月から工事が始める予定だが、すでに小屋で暮らす仲間のもとへ、都の職員が「立ち退け」といってきている。
 

「環境浄化」を名目とした排除といえば、東京スカイツリーの建設が決定して以来、近隣の隅田川、荒川、竪川がある複数の自治体で追い出しが起きた。川に沿いにあったブルーシートの小屋が少しづつ減り始めていき、警備員による嫌がらせなども頻繁に行われた。スカイツリーの建設の影では、私たちも知りえない数の野宿者が住まいを奪われているのである。これ以上のことがオリンピック開催を契機に行われるだろう。もちろん、それに唯々諾々と従うわけではない。この間も、「反五輪の会」の人々とともにオリンピックに対する反対行動に参加してきたが、これからも、それぞれの現場で、様々な形で抵抗を続けていくだろう。
 

外国から来る選手、日本まで見物にくることができる一部の人間、かれらを「もてなす」ためには、誰かが犠牲になるのはごめんである。私たち「もてなされる」価値のないものたちは、この勘違い甚だしい「もてなし」のための排除に徹底的に抗うだろう。2020年までの7年間の戦争は、すでにはじまっている。


(竪川を支える会 H)





※タイトルを「あまロスとはなにか?」とかにしようかと思っていたのですが、止めました。  

 

 映画『リアル〜完全なる首長竜の日』は、原作と違って主人公・浩市の父親が関わったある島のリゾート開発が少しばかりストーリーに関わっております。で、浩市の脳内イメージに廃墟と化したリゾート地の映像が出てくる。浩市は成人してから島には戻っていないはずなので、廃墟の映像は浩市の無意識下における罪悪感なのであろう。「センシング」という技術で浩市の脳内に入り込んだ恋人の淳美が「これはあなたのつくり出したイメージだからぬけだせるはずだ」とかなんとか言ったりするのだが、一部熱狂的な信者を持つ(ことになっている?)黒沢清のことだから、このシーンは「フクシマ」を忘却することへの批評-今現在、「フクシマ」を無視して廃墟を語れるのか?-が込められている、のかとも思ったりしたのですが、そんなこともなかったようです。

 子どもだった彼に何の責任があろう!誰が被害者で誰が加害者なのか?この「廃墟」に誰が責任を取るべきなのか?そもそも責任とれんのか?-精神分析的言うと罪悪感は超自我の課す「法」に反する欲望が無意識下において抑圧されていることのあらわれである、そうな。超自我の求める責任は無限である。永遠に処罰を与えるサディストである。もううんざりだ!-いつまで謝りつづけなければいけないのか!?-

そうなのだ、見なければ良いのだ。なかったことにすること、あるいは「つわものどもがゆめのあと」といった日本的?「もののあはれ」に逃避すること、もっといえば「廃墟」を再発見し、「萌える」こと-精神分析的に言うと「抑圧」ではなく「否認」という機制-「法」から「フェティシズム」へ、「サディズム」ではなく「マゾヒズム」へ?

戦争責任?そんなのは「文学的」な問題だ!メカと美少女に萌えよ!一見現実逃避的かつ自閉的に見えつつ、実は「大人」の振る舞いであり、ひいては「クール」で「ジャパン」なコンテンツを生み出し、むしろワールドワイドなのだ!これこそが「国益」であり「愛国心」なのだ!

 というのが現在の(ことに3.11以降の)情況であるように思えてならないのですが、いかが?(ひ。)

 

 

HAPAX VOL.1

〈抜粋〉

精神科に通院している知人が、面接をした医師に「もう放射能は怖くなくなりましたか」と聞かれた。まぜっかえすようないたずら心がわきあがり、とっさに「先生、直りますか」と聞き返すと、医師は真面目な顏で「治療すればよくなりますよ」とこたえたという。

予示的政治とは「こうあってほしい世界」を想定し、あたかもあたかもそのときが来たかのようにふるまうことで、運動のもつ可能性を照らしだす技芸だ。

…予示的政治とは、本来的には喜びの感情を増大させるようなアイデアであったはずのものだが、最近は、資本によっても哀しみの否認のために使われているのではないかと考えるようになった。いま、ここで、放射能汚染などなかったかのようにふるまってみよう。あるいは、想像してごらん、福島第一原発事故がなかった世界を…。(P13)

[2013年9月/四六判/160頁/¥1,000+50] 編=HAPAX 発行=夜光社

 

 

風景の死滅 増補新版

〈抜粋〉

…ゆえに風景論は、反動的な映画論、文学論、都市論、あるいは政治論による不毛な風景論争によって、さらには、「風景の発見」を促す旧国鉄のディスカバー・ジャパンなどの資本主義的な攻勢によって、その可能性を簒奪されてしまうこととなる。(P338)

 

[2013年11月/四六H/344頁/¥3,200+160] 《 革命のアルケオロジー2》 著=松田 政男 解説=平沢 剛 発行=航思社

 

 

 

八画文化会館vol.3

〈抜粋〉

石川 廃墟ですね、時代は

酒井 2年前(2011年)は「終末観光ですね、時代は」って、言ってたんですけどね。

石川 パッと見廃墟みたいなのにギリ生きてる観光スポットを、終末観光と呼んで楽しんできましたけど、そういう所ばっか行ってると、逆に廃墟ってすごいんじゃないかと思いまして。

酒井 廃墟は面白いよ。面白いと言えるだけのイイ物件がなかなか見つからないだけで。

石川 そうですね。

酒井 終末観光ってもっと大きい視点で考えると「時代や土地から見放されてしまった場所が、今の時代のニーズと完全にズレはじめたときに、不思議な魅力を発する場所」っていうことだけど、それってさ…。

石川 廃墟が一番当てはまりますもんね。

(P30)
 

[2013年8月/A4変形/113頁/¥1,500] 特集=終末観光の切り札 廃墟の秘密 発行=八画出版部

 

 

 

福島第一原発観光地化計画

 〈抜粋〉

ダークツーリズムとは、1990年代に現れた概念で広島やアウシュヴィッツなど、戦争や災害など悲劇の地を対象とする新しいスタイルの観光を意味しています。修学旅行で広島や沖縄を訪問することが一般化している日本は、じつはダークツーリズムの先進国です。本計画の支柱となっているのは、このダークツーリズムの考え方でもあります。P14

観光地化とは、活動家やジャーナリストだけではなく、また研究社や官僚や政治家だけでなく、無知で偏見に満ちた観光客を含め、あらゆる人びとの視線と関心を無条件に受け入れることを意味します。だからそれは絶対的な情報公開でもあります。P20

[2013年11月/B5/191頁/¥1,800+90] 《思想地図β vol.4-2》 発行=株式会社ゲンロン

 

情況 2013年6月 別冊 「思想理論編」2号

〈抜粋〉

現実そのものをテーマパーク化してしまい、それを「現実」にしてしまえば直面する現実そのものが「擬似日本」に等しいものとなる。「虚構」が続かなくなったから「現実」を見ると言いながら、彼(=東浩紀※筆者注)が見ようとする現実は、一度その上に虚構的な現実を覆い被せてしまったような現実でしかないのである。-『ゼロ年代批評の政治旋回』藤田直哉 P99

[2013年7月/A5/238頁/¥2,000+100] 特集=現代政治経済(学)批判 発行=情況出版



なぜ、いまヘイト・スピーチなのか 差別、暴力、脅迫、迫害

 

[2013年11月/A5/219頁/¥1,400+70] 著=前田朗 発行=三一書房

 



映画芸術 445 特集・国民的映画『風立ちぬ』大批判!

 

[2013年10月/B5/160頁/¥1,500]  発行=編集プロダクション映芸

 

動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学

 

『動きすぎてはいけない』はいいタイトルだ。

現代は接続過剰である。課題は、いかに繋がるかだけでなく、いかに切断するか、でもある。ドゥルーズ(と浅田彰、東浩紀)を参照しつつ、接続/切断の思想をさぐる。ツイッター、SNSなど、繋がり過ぎに疲れた方は是非!

〈抜粋〉

20世紀末の多くのポストモダン論では 、非意味的接続の奨励-貨幣的ではなく文化的な-を主としており、非意味的接続の過剰による文化的窒息に対する非意味的切断は、二次的テーマでしかなかった。21世紀のグローバルなネットワーク社会に入って、非意味的切断は焦眉のテーマとなる。(P35)

[2013年10月/四六判/369頁/¥2,500+125] 著=千葉雅也 発行=河出書房新社

 

自我論集

 「抑圧-法-サディズム-主体-服従」「否認-フェティシズム-マゾヒズム-多形倒錯-自由」という問題設定はニューアカ以降お馴染みであります。とは申せ、『快感原則の彼岸』などは何度読んでも謎であり、示唆に富む。古典の古典たるゆえん?

[1996年6月/文庫/360頁/¥1,200+60] 《ちくま学芸文庫》 著=ジークムント・フロイト 訳=中山元 解説=竹田青嗣 発行=筑摩書房

 



竪川救援、公判闘争



 江東区竪川の野宿者排除をめぐる闘いで逮捕(2月9日)され、威力業務妨害罪で起訴(2月29日)され、4カ月余りもの長期勾留を強制されていた園良太さんが、6月14日、保釈ー奪還された。園さんは、救援に尽力し、激励やカンパを寄せてくれた全ての人たちに感謝の意を述べ、6・17のゆんたく高江主催の沖縄連帯コンサートや、6月23日の新宿・柏木公園で行われた大飯再稼働反対の集会・デモでもアピールした。

そもそも園さんはなぜ起訴されたのか。江東区は今年に入って、竪川河川敷公園の改修工事のために、テントで生活していた多くの野宿者に対して、それまでの「話し合いで解決、強制的な手段は取らない」の約束を反故にして、行政代執行の手続きに入った。さらに、当局(水辺と緑の課)は、2月9日に予定されていた団交を直前でキャンセル、だまし打ち的に代執行を強行(8日)、この暴挙に対して取り組まれた抗議・申し入れ行動に、当局は、不誠実な対応のみならず、多数の職員を警備動員して排除=実力行使を強行したのである。

従って2・7弾圧は、紛れもなく竪川野宿者運動への弾圧である。6月27日に行われた江東区との折衝でも、出席者の一人である人権課の課長は、弁護士や学者から、国際人権規約のことを指摘されるや、「日本には日本の法律がある。法律を守ってくれなくては困る」などと人権課にあるまじき暴言を吐き、
怒りの声が相次いだ。この公判を通じて当局が主張する「テント=不法占拠」(ゆえに弾圧は当然)の論理を徹底的に打ち砕かなければならない。

 公判は6月1日、11日で検事側証人尋問が終了した。1日は、代執行を行った江東区水辺と緑の課・計画係長・仁平と職員2人の計3人が出廷。仁平は、窓口での抗議・申し入れに対してビデオ撮影を指示した責任者で、職員は、退去命令によって庁外への排除を担当、その「警備活動」によって業務の中断を余儀なくされたので「威力業務妨害」だというのだ。弁護団は、抗議グループの排除を想定した警備計画が組まれていたことや警察との連携の問題を追及するが、3人ともほとんどまともに答えられずに終わった。

 続く6月11日は、当日の退去命令を発した高垣(現在は水辺と緑の課・課長)と、竪川改修工事の責任者・荒木(元)課長だ。弁護団は、会議室を用意するなど事態の沈静化に努めるべきではなかったかと追及されると、「突然の来訪で対応できなかった」などとごまかし、警備の動員も「区民の安全と円滑な行政サービスのため」と居直った。一方荒木は、強制排除はしないと約束したことを否定したり、2月9日の団交を直前キャンセルしたことを「体調が悪かった」と強弁、説明責任を果たさなかったことも何の反省もしない、傲岸不遜の態度に終始した。6月11日には、
中野商工会館にて前期を振り返っての報告集会も行われた。次回公判(9月13日)から、弁護側証人が出廷する。
竪川弾圧公判は、単に事実行為の有無をめぐって争われているのではない、国際人権規約をめぐって、憲法25条〜生存権、居住権、基本的人権をめぐる問題である。今後の公判闘争への注目・支援を!

2.9竪川弾圧救援会


 

〈Tシャツ〉YES!抗議  NO!排除

プリントの位置やカラー等、出来栄えは一様ではなく、果ては、作業者の気分なんかでバックプリントがあったり、基本的になかったり。経費と委託料を差し引いた売上全額が裁判闘争費用に充てられます。カラー:赤、黒、白 サイズ:M、L、XL 

[2012年/¥2,000] 発行=2.9竪川弾圧救援会

まけてたまるか 創刊号 2.9竪川弾圧救援ニュース

[2012年6月/A4/16頁/¥300] 編/発=2.9竪川弾圧救援会





 2011年も早いもので師走となった。7月からの仙台移住とその生活は、私にとって新たな思考するリズムと感覚を与えてくれたようだ。こうしていま広瀬川を横目に、石油ストーブにあたりながらコーヒーを飲みつつ、この原稿を書いていることがそれを自覚させる。

3月11日の震災、そして原発事故は私の精神・肉体を不自由にさせた。いや、正確に言えば、この天災と人災を報道するマスメディアによって繰り返し流された映像の波に私は溺れた。涙が止まらず、なかなか寝つけない日々。

 4月10日、リハビリのため、東京の高円寺での反原発デモに参加し、路上を闊歩する。家に帰って、インターネットにアップされたその日の映像をリンクづけしてみる。歩きながら撮影されたブレブレの映像や歩道橋から定点でデモ隊を撮影したものなど、一つの出来事を無数の人々が各々の視点で撮影している。
 

 後期資本主義社会における情報の大量な垂れ流しの現在にあって、mass=大衆などもはや存在はしないだろう。「大衆」は、マスメディア、資本、国家が作り上げようとするものでしかなく、いまここにいるのは、あまたの人々=peopleである。人々が自律したメディアを現場から生み出すこと、身体を活発化させるメディアの獲得を思考し実践することに意識を向ける必要がある。

同4月、私は震災後の仙台に向かった。被災地を自転車で走り、津波のあとの生臭いにおいを嗅ぐ。ここでようやく私の意識は覚醒し、もとに戻った。世界が身体にぶつかってくるようで、思わず高揚した。その後、何度か津波で流された跡地を撮影しようとしたが、私の事前の想定はことごとくその風景の前で崩され、眼前にあるものをただただ撮るしかなかった。
私は写真家の中平卓馬の言葉を思い出していた。

「…まさしく世界は作家の、人間の像、観念を裏切り、それを超越したものとして立ち現れてきているのだ。作家が、芸術家が世界の中心である、あるいは世界は私であるといった近代の観念は崩壊しはじめたのだ。そしてそこから必然的に作品を芸術家がもつイメージの表出と考える芸術観もまた突き崩されざるを得ないのは当然のことである。そうではなく世界は常に私のイメージの向う側に、世界は世界として立ち現れる、その無限の〈出会い〉のプロセスが従来のわれわれの芸術行為にとって代わらなければならないだろう。世界は決定的にあるがままの世界であること、彼岸は決定的に彼岸であること、その分水嶺を今度という今度は絶対的に仕切っていくこと、それがわれわれの芸術的試みになるだろう。それはある意味では、世界に対して人間の敗北を認めることである。だが此岸と彼岸の混淆というまやかしがすでに歴史によって暴かれた以上、その敗北を絶望的に認めるところからわれわれが出発する以外ないことは、みずから明らかなことである。」--中平卓馬『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』(ちくま学芸文庫 2007年 17〜18頁)

震災後、支援などで無数の人々が出会い、交流し、営みを始めている。このように書くと震災で何かが生み出されたようであるが、いうまでもなく、震災が何かを生み出すのではない。そこにある人間の営為こそが何かを発見したり試行したりしながら、社会を築くのである。
こうした人間の営為を含む世界と向き合うこと、仙台での私のメディア活動は身体を解きほぐしながら始まり、継続している。

細谷修平(メディア研究・美術研究)


 



なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集

[2007年10月/文庫/308頁/¥1,200+60] 《ちくま学芸文庫》 著=中平卓馬 発行=筑摩書房

〈ウメウメ書評〉ないものは、ない…。



 ウメます。〈ウメウメ書評〉は本来的には徒然なるまま「チラシのウラにでも書いておくべきことども」、すなわち「チラウラ」であります。が、書店のブログでもある、ということは販売している本の宣伝、すなわち「チラシ」でもあるわけです。ということは、「チラシのウラまでチラシ」ということになるわけです。現在、ことにWEB空間において、「チラシのウラまでチラシ」でないものがどれほど存在するのか、そもそも、それは存在可能なのか、ということについて少しばかり。

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・・・いい換えれば純粋の資本主義社会は具体的には決して実現されないが、しかし一定の発展段階では自力をもってそういう方向に発展しつつあったということが、そしてその裏にはその発展が逆転して終末を予想せしめる歴史的過程であるということが、その体系化を完成せしめることとなるのである。・・・

  ・・・たとえばマルクスが資本主義の革命的変化を期待した恐慌現象も、原理的には資本主義社会の根本的矛盾をなす労働力の商品化を根拠として出現するものとして解明される−と私は考える−が、しかしそれは直ちに資本主義社会を崩壊せしめるものとしてではなく、むしろ反対に資本主義の発展がこの矛盾を根本的にではないが、現実的に解決しつつ行われるものとして明らかにされる。原理としかかる過程が、マルクスもいうように永久的に繰り返すかのごとくに説くほかはないのである。 ・・・

(『 マルクス経済学 原理論の研究』 岩波書店1959 宇野弘蔵 より抜粋)

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 書店のブログでありながら、売っていない本の引用から入るのはイケナイことなのだ(しかも長い。ここまでどれほどに人が読んでくれているのか?- 「ウメます。まで読んだ」…)がそこはご愛嬌。いろんな媒体でいろんなことを書いている佐藤優が最近宇野弘蔵についての著作を出しているらしい。が、この本も模索舎に置いておりません。

 宇野理論については巨大なスクールが形成されており、迂闊なことを言うと怒られそうなので、正直に言うと、「宇野経済論」について詳しいわけではない。名著、古典とされている『経済原論』や『恐慌論』も読んではいない(やはり模索舎で売っていない)。宇野が自身の『理論』について語っている小文をいくつか拾い読みしているだけであります。

 で、宇野理論なのだが、どうも不思議な理論に思えてならない。「理論」が「理論的」であるのはその対象が「理論的」に運動しているからなのだ、というこの理屈。よくわからない。「即自」とか、「対自」とか、ヘーゲルとか詳しい方ならどうということもないのかもしれませんが(宇野自身はヘーゲル論理学を参照した、と明言している)。こういうことは物理学等の自然科学では当たり前に思えてしまう。ある人々がたとえばこの地上を支えているのは巨大なカメさんたちである、と妄想しようがしまいが、惑星は「理論的」に運行しているのだ(それでも地球は回っている)。けれども、宇野理論が対象とする資本主義経済はそうではない。歴史的誕生の日付をもつ。ある時代、ある地域において生まれたものなのだ。

 「資本」はある時期から法則的に運動し始めた。そしてその運動が法則性を獲得してはじめて「資本」となる。教科書的にはこの資本の法則性に着目し「経済学」の始祖となったのが重農学派やアダム・スミスである、ということになっている。かれら経済学の開祖たちはなぜ開祖たりえたのか?実際に資本が法則性をもって運動を開始し始めた時代に生き、その運動に巻き込まれて、資本主義の世の中を生きているからだ。そしてその開祖たちの経済学が資本の運動を解明することによって、同時に資本主義社会を正当化していくわけだ。つまり、彼らが「経済はこのように動いてますよ」と言うことによって経済を動かすことになる。

 ようするに、マッチポンプ、ジサクジエンというわけだ。〜が大流行、としつこく繰り返すことによって流行を創り出し、パフォーマティブに言説と対象を一致させてしまう。システム論風に言うと「システムの分化」「内部観測問題」ということになる、のか?「学問」というサブシステムが社会システム全体を表出しうるのは、社会システムに内属しているからであり、その限りにおいて社会を表出しうる、というモナドロジックな構造によってその「真理」を担保されている、というか、「真理」すらシステム内部におけるメディアに過ぎず…

 流行っているといい続けることによって流行らせる-こういう香具師の手管(言説だけでなくそれを流通させる装置も含む)をマルクス主義的には「イデオロギー(装置)」と呼ぶ。イデオロギー=虚偽意識、ではない。「流行」を「流行」たらしめ(ようと)ているのは紛れもなく「装置」(たとえばお台場とかにあったりする?)ではないか?そしてそのジサクジエン性が丸見えであることによって、「あえてノッテみせている」人どもを動員していくーそこが丸見えの底なし沼!byI編集長-な「装置」なのだ。「社会主義社といえど少なくともその生活資料は商品として購入しているわけで、マルクスもエンゲルスもこのイデオロギーから完全に自由になることはできなかったのではないかと思うのです」(『社会科学と弁証法』より)。そのような「マッチポンプ」的な経済学ないし社会システム論は「ブルジョア経済学」「ブルジョア社会学」であり、イデオロギーなのだ。それは未だ「理論」としての資格をもっていない。(システム論は結局のところ現状肯定のイデオロギーに過ぎないのか?-「ハーバーマスvsルーマン論争についてはまったく知らない)。

 と、ここまでは一応ここまではいわば教科書的な?マルクス主義のお話であります。「理論」と「実践」、「史的唯物論」と「弁証法的唯物論」、「構造」と「移行」というのはマルクス主義の永遠の課題で、理論の「科学性・法則性」ばかり強調していると、経済決定論に陥り、究極的には「歴史的必然であれば何もしなくていいんじゃね?」というニヒリズム、シニシズムを生みだし(『敗北の文学』とはいいタイトルだ!)、かつその反動で主意主義的、実存的、主体的な実践主義が生みだされる。

 宇野理論の特異性はその独断的なまでの理論性であります。宇野はあくまで「理論」にこだわる。「理論」が「理論」として完成するのは、理論の対象であるところの資本主義の終末を捉えることにかかっている。資本がその法則を貫徹できない地点にこそ、理論が誕生する。「その発展が逆転して終末を予想せしめる歴史的過程であるということが、その体系化を完成せしめることとなるのである」。そしてそしてその理論体系の内部では、資本の運動は「永久的に繰り返すかのごとくに説くほかはない」のである。自然科学の叙述方法との根本的な差異がここにある。繰り返し再現可能な実験室での検証ができない一回きりの歴史においては「死」がそのまま「永遠」へとつながれているのだ。ミネルバの梟?「永遠の生命」と「死の欲動」?

 「力(=権力)のあるところ、抵抗はある」とはフーコーの言葉だそうです。どの本で言っているのかは知らない。そもそも本当に言ったのかすら怪しいものだ。偉人の言行録とか常にかくの如し。ようするに、抵抗が存在するとき、はじめて「理論」が完結する。そしてその「理論」のなかでは資本の運動は「永遠の相のもとに」(スピノザ)ある。抵抗は確かにある、が、それは理論の中には書き込まれない。抵抗は「理論」の「そと」にあるのだ。「死」が理論の円環を閉じるのではなく、われはれは常に既に抵抗してしまっているのだ。「理論」が資本の運動をが資本の運動を永久に続く悪夢として、「出口なし」の完全無欠な体系としてあるのは、むしろ、「抵抗」の存在証明なのではないか?(『知への意思』以降のフーコーの転回?)

 「理論」の「そと」にある「抵抗」は「段階論」「現状分析」と次々と理論の階梯を生産していく。理論を生産していくのは宇野自身なのか、「抵抗」なのか、あるいは宇野が「抵抗」そのものと一体化しているのか?宇野弘蔵はこの書き込まれない「抵抗」をもさらに「理論」として捉えたい、という衝動を抑えきれない特異な理論家なのではないか(宇野自身は「私は実践の経験がない」とすこぶる謙虚なのですが)?

 ネット社会において、かつてのユートピアがデストピアとして反転した。歴史は終わり、もはやアーキテクチャーの問題しか残されていない、というシニシズムは、3.11以降、確実に「父性への回帰」という反動を生み出しつつあるように見える(…違ったらごめんね)。繰り返された茶番である。ネット社会が万能であり、永遠に続く自己増殖システムであるかのようにあなたの目に映っているとしたら、それはチャンスなのだ。そこに「抵抗」が存在しているのだから。

(文責=ひ。)

社会科学と弁証法

[2006年11月/四六H/382頁/¥3,800+190] 《こぶし文庫 45》 著=宇野弘蔵/梅本克己  編・解説 =いいだもも 発行=こぶし書房

戦後思想界の巨頭対談。『資本論』の中に革命の契機を、プロレタリアの主体性を見いだしたい梅本と、『資本論』にはそういったものは、ない、ないものはない、なぜなら「理論」だからだ、とかわし続ける宇野ー異種格闘技戦のようなイマイチかみ合っていない応酬がスリリング!

i「物質」の蜂起をめざして レーニン、〈力〉の思想

[2010年5月/四六H/366頁/¥2,600+130] 著=白井聡 発行=作品社

ないものは、ない、と言い切ってしまうある意味ドライな宇野理論であるが、その理論はドライであるが故に巨大な開放感をもたらす。理論は理論、あとは政治の領域です、と半ば認めてしまっているからだ。

 宇野理論がなぜ新左翼諸党派に影響を与えたのか、ということについて少しばかり触れられております。

プレカリアートの詩 記号資本主義の精神病理学

[2009年12月/B6/261頁/¥2,800+140] 著=フランコ・ベラルディ 訳=櫻田和也 発行=河出書房新社

ビフォはユートピア/デストピアの分岐、70年代のラディカリズムが現在においてネオリベラリズムとして結実している、ということを問題化しています。

記号資本主義下では人は端末にすぎない。頼まれもしないのにSNSで日記を書き、日常の些事をツイットし、自ら進んで端末と化しているそこのあなた!はユートピアを行きているのか、デストピアを生きているのか?
東西冷戦が自由主義陣営の勝利のうちに終結した、とされる90年代、資本主義のオルタナティブは消滅し、インターネットの爆発的普及によってあらゆるものが記号となり、サイバースペースの勝ち組とされるIT長者どもはプロザックをむさぼり、バイアグラを注入して断片化した身体を奮い立たせ、金融商品は世界を席巻し、小国の経済を破壊し、市場経済万能主義を受け入れない「野蛮なテロ国家」にミサイルを撃ち込み平滑な空間へと地ならししていく…そしてすべてが崩壊した。
世界に鬱が蔓延している。人間は結局情報処理の端末にはなりきれない。多くの認知的労働者は鬱病を発症している。端末の発症する病はそのままサイバー空間の病であり、世界に鬱が蔓延している。金融危機は鬱病の発症なのだ。
 


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ネット社会について、およびそれと親和的なコンテンツ(アニメ、ニコニコ動画などなど)などに詳しくないので、オタクカルチャー世代、というより、もはやオタクがオタクでなくなった「ゼロ年代」批評家たちに教えを乞いたいです、という方々は手始めに以下の本などをつまみ読みしてはいかがでしょうか?
 

ised 情報社会の倫理と設計 [設計篇]

[2010年5月/A5/490頁/¥2,800+140] 編=東浩紀/濱野智史 発行=河出書房新社

ised 情報社会の倫理と設計 [倫理篇]

[2010年5月/A5/480頁/¥2,800+140] 編=東浩紀/濱野智史 発行=河出書房新社

i思想地図beta vol.1

[2010年12月/A5/384頁/¥2,300+115] 特集=ショッピング/パターン 編集長=東浩紀 発行= 合同会社コンテクチュアズ

i思想地図beta vol.1

[2011年9月/A5/252頁/¥1,905+95] 特集=特集震災以後 編集長=東浩紀 発行= 合同会社コンテクチュアズ





  久しぶりにウメてみます。基本的にネットスラングでいうところの「チラシのウラ」であります。ところが、これは書店のブログなのだ。ということは、「チラシのウラまでチラシ」ということになるわけです。現在、ことにWEB空間において、「チラシのウラまでチラシ」でないものがどれほど存在するのか、そもそも、それは存在可能なのか、ということを勘案しつつ読んでいただけると幸甚の至りです。それでは、東西東西〜
 
 「あいつとは気合が入らないな」と関取がつぶやくと、それはそれは星を買う、ないしは借りて来い、という付き人に対する指示であるそうな。様々なメディアで大相撲の八百長問題は語られてはきたものの、それを指摘するのは無粋というもの、義憤に燃えて八百長を指弾しようものなら、「注射」「ガチンコ」etc…もはや日常語ですらある角界スラングを用いて取り組みをあれこれ予想、というか妄想してこそ真の好角家である、という日本的?シニシズム、訳知り顔(「相撲はな、神事なんだよ神事!?毛唐の“スポーツ”何ぞとはわけが違うんだよ!?」-ここにおいて「國體」-国民体育大会じゃないよ-が発揚されるのだ!)で説教されてしまう、というわけだ。年功序列制度と階級制度のアマルガム、とか疑似科学丸出しの日本文化論を一席ぶち上げたくさせるほどに、大相撲の八百長問題は奥深い。

「この文章は八百長問題を扱っているようでいて、実は3.11以後の時代状況を告発しているのだ!」とこのグズグズした文章を後世の批評家が(だれ?)慧眼にも見抜いてくれることを期待しつつ(小林秀雄-吉本隆明問題)、このまま八百長問題についてグズグズ書いてもいいのだが、それは妄想がすぎる、言いたいことはズバリ言うべきなのであって、くどいようだが、批評家が沈黙を評価してくれたりするほど世の中甘くない、なんでもいいからイッチョガミすべきであって、それが「チラシのウラまでチラシ」であるところのツイッター社会の倫理というものでありましょう。-バスに乗り遅れるな!-ところがこのバスは満席になり次第発車することになっており、よって、あなたたちが乗らなければいつまでたっても発車することはない。そう、あなたが乗ろうとしなければ決して乗り遅れることはないのだ!

多くの問題は多かれ少なかれつねにすでに指摘されてきたことばかりで、「何も隠されてはいない」のです。大相撲の八百長も、芸能界とヤの付く人々との交流も、マスメディアがうそつきであること(久米弘のきめゼリフ「民放の宿命、CMです」)も、大企業や官僚の隠蔽体質も…。すべて周知の事実ではなかったのか?そうした周知の事実がある日を境に突然問題とされ始める。敗戦、連合赤軍事件、社会主義圏の崩壊、拉致問題…。鬼の首が獲られ、死者が鞭打たれ、死んだ犬のように扱われる。「生きている犬の死んだライオンに対する優越」というヤツだ。では何が変わったのか?何も変わっていないといえばそうだし、決定的な不可逆的出来事が起こった、とも言える。「事実」は重い。「重いことは善なのか悪なのか?」というクンデラ問題、「アウシュビッツ以後詩を書くことは野蛮である」byアドルノ、「200万英霊に申し訳ないと思わないのか」問題、などなど。しかしながら、「事実」は人を変えない。人は信じたいものしか信じない。-真実は愚か者しか傷つけない-byカール・ゴッチ!「キリストの復活」から今日まで延々と続く古くて新しい問題だ。

「事実」が何も変えない、とすれば、何が変わったのか?言説の布置のずれが引き起こされ、無意識がパロールにおいて…、「抑圧されたものの回帰」がどうたらこうたら…、こんなのは「作文」ですよっ(激昂した西尾幹二口調で)!難しそうな批評文を書いて文学フリマとかに出品している頭のよさ丸出しのアンファン・テリブルどもに鼻でせせら笑われそう-『批評空間』(笑)-なので精神分析はよく知らん、と正直に告白しておく。よく知らないくせに続けるのだが、精神分析によると「見落とし」「思い違い」にはそれ相応の理屈があるそうな。ジジェク十八番の小話「穀物になって鳥に食われる妄想を持つ患者」なんかによると、思い込みを指摘してやれば蒙が啓かれ、めでたしめでたし、という具合にはいかないらしい。食べる食べないかは鳥が決めることなのだ。(鳥の小話については『ロベスピエール/毛沢東 革命とテロル』p192)

八百長話のマクラから入って今回のお題であるアルチュセール、およびアルチュセールのイデオロギー論-イデオロギーは真空を恐れる-とかにつなげ、『資本論を読む』とかを読んで(ややこしい)、現代の複雑なイデオロギー状況に「理論的介入」してみてはいかが、とオチがつく。香具師のごときお手並み(錯覚イケナイヨク見ルヨロシ)で購買意欲を掻き立てたい(書店のブログの宿命だ!)ところなのであるが、そうは問屋が卸さない(模索舎は取次ぎを使わない!)。ジジェクの鳥の話で図らずもオチがついてしまい困っているのですが、「路線」を変更せずに、強引にお話を繋げます。

『マルクスのために』『資本論を読む』などによってアルチュセールの思想は当時知的流行の最先端のモード(モードはいつでもおふらんすから!)であった「構造主義」チックなマルクス主義として一世を風靡した、そうな。日本でも「ニューアカブーム」-(笑)をつける権利が誰にあるというのか!-で「構造主義」や「フランス現代思想」が流行ったものです。デリダとかレヴィ=ストロースとか、ドゥルーズ、フーコーなんかだと読んでなくても本棚に飾っとくだけで偏差値が上がったような錯覚に陥りそうなオサレな装丁(「みすず」だとか「叢書ウニベルシタス」-いまだに声に出して読めない-などなど)で出版されていたのだが、アルチュセールは「マルクス主義」だったせいかそうした「路線」から外れた位置にあった、ように思う(もちろん偏見である)。海外(というか欧米)の流行に敏感(「御一新」以来近代日本の宿痾)であるはずのアカデミズム、肝心のマルクス研究者の間でも宇野弘蔵とか廣松渉の研究もあってか、あんまり斬新な思想だと思われなかったようです。

…私は『マルクスのために』と『資本論を読む』を出版した直後の幸福感に浸っていた。…それなのに私は、これらの論文が幅広い読者の面前に裸の私をさらすことになると思い、信じがたいまでの恐怖に襲われたのだった。裸の私とは策略と欺瞞で身を固め、それ以外は何もない、あるがままの私ということであり、哲学史もろくに知らなければ、マルクスもほとんど知らない哲学者のことである。…私は独断的で、マルクスとおよそ無関係な理論の構築にのめりこんだ「哲学者」だと自分でも思っていた。(『未来は長く続く』p193)

アルチュセールの独断的テーゼの数々は相変わらず魅力的である-「認識論的切断」「重層的決定」「構造因果性」「科学が対象を持つ、というようには哲学は対象を持たない」「理論における階級闘争」「真理とは主体なき過程の効果である」「哲学は無の反復である」「唯物論者は行き先のわからない汽車に飛び乗る」etc…。ところが、自伝『未来は長く続く』では自分はあんまり哲学にくわしくない、とか「耳学問が得意」だとか「読んでもいない思想を解説できる」などなど、あけすけに(というか露悪的に)書かれている。アルチュセール自身が「ありもしない哲学をでっちあげた」ことをほぼ認めてしまっているわけだ。たびたび結論を変更し、「自己批判」を重ね、ほぼ同じ前提から真逆の結論を導くことさえある。それでありなおかつ、アルチュセールをいまさら読む意味がどこにあるのか-「狂気の文学」として、アウトサイダーアートとして、一つの「症例」として以外に?

アルチュセールは世界の錯乱なのか自分の錯乱なのかがわからなくなる、とたびたび書いている。それはアルチュセールの持つ特殊な力能(マキャベリを通じて何度も論じられている)-あらゆる秩序の崩壊、世界の「錯乱」において、世界の「錯乱」を自らの「錯乱」へと移し変える力能-なのだ。マキャベリ同様、アルチュセールお気に入りのスピノザの言うように、「主体」とは諸属性の「出会い」の効果としてあり、同じ効果の下で他者との「出会い」は新たな共同体をもたらす。とすれば、世界の錯乱を自己の錯乱へと転移させること、そしてふたたび錯乱を世界にかえすこと-ここにおいて錯乱した世界を未来へ、革命へと繋げる効果が生まれるのだ。しかし、そうでであるなら、潜水艦乗っ取りを妄想するアルチュセールと「権力奪取はすぐそこだ」と力説する10月のレーニンは同じ錯乱のもとにあったということになるのであろうか?-夜に牛を見たけど、すべての牛が真っ黒だったよ!?

アルチュセールの思想は哲学、マルクス主義、経済学(批判)、精神分析、科学論、と多岐にわたるが、どの分野においても固有にアルチュセール的なものを掴み取ることができない。どこか煙に巻かれた気になる。けれども、「もし、アルチュセールを、どの領域においても「疑わしい」がゆえに「全体として」取るに足らない哲学者であったとみなすなら、そのとき私たちは、彼の重要な言葉を聞き漏らしていることになる。(『政治・哲学著作集1』解説より)」。

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雨が降っている。願わくば、この書がまずは単純な雨についての書とならんことを。マルブランシュも自問していた。「なにゆえ雨は海に、街道に、砂丘に降り注ぐのか」。
(「出会いの唯物論の地下水脈」 『政治・哲学著作集1』収録)

この冒頭のフレーズは何度読んでも美しい。すべてが偶然である。そして「偶然の必然」というべき「出会い」がある。永続する「出会い」もあればそうでないものも…。永続しない「出会い」についての感傷にとらわれ抜け出せないままでいるそこのあなた!にレーニンのこの言葉(アルチュセールも気に入りだった)を送ろう!

-共産主義者は孤独ではない-

(文責:ひ。)

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〈文庫〉で読めるもの

 

資本論を読む 上

[1996年10月/文庫/409頁/¥1,200+60]  著= ルイ・アルチュセール/ジャック・ランシエール/ピエール・マシュレー/エチエンヌ・バリバール/ロジェ・エスタブレ 訳=今村仁司 発行=筑摩書房

資本論を読む 中

[1997年1月/文庫/291頁/¥1,000+50] 

資 本論を読む 下

[1997年4月/文庫/350頁/¥1,100+55]

再生産について 上 イデオロギ-と国家のイデオロギー諸装置

[2010年10月/文庫/336頁/¥1,500+75] 《平凡社ライブラリー あ-4-2》 著=ルイ・アルチュセール 訳=西川長夫/伊吹浩一 /大中一彌/今野晃 発行=平凡社

再生産につ いて 下 イデオロギ-と国家のイデオロギー諸装置

[2010年10月/文庫/365頁/¥1,500+75] 

マルクスのために

[1994年6月/文庫/529頁/¥1,553+78] 《平凡社ライブラリー あ-4-1》 著=ルイ・アルチュセール 訳=河野健二/田村俶/西川長夫 発行=平凡社

哲学について

[2011年1月/文庫/238頁/¥1,100+55] 《ちくま学芸文庫ア-12-4》 著= ルイ・アルチュセール 訳=今村仁司 発行=筑摩書房

---〈文庫〉ここまで----


哲学・政治著作集 1

[1999年6月/A5H/632頁/¥8,800+440] 著=ルイ・アルチュセール 訳=市田良彦/福井和美 発行=藤原書店

哲学・政治 著作集 2

[1999年7月/A5H/624頁/¥8,800+440] 著=ルイ・アルチュセール 訳=市田良彦/福井和美/宇城輝人/前川真行/水嶋一憲/安川 慶治 発行=藤原書店

 

各巻600ページ以上、2巻あわせて1200ページ。インナーマッスルの鍛錬にちょうどいい重さ、という戯言はさておく。
「自らの限界にアルマルクス」では、国家を「機械」として論じております。ガソリンエンジンはガソリンで動くが「国家」という機械は階級闘争の「力」で動く、「国家の身体は特別の金属でできている」などなど、イカれているのか的確なのかよくわからない表現が多発し、「党で行われているのは、政治でなければいったいなんなのか」という一文で未完となっている面白すぎる論考です。その他、「マキャヴェッリと私たち」「フォイエルバッハについて」などなど興味深い論文が盛りだくさんです。

未来は長く続く アルチュセール自伝

[2002年12月/四六H/517頁/¥4,300+215] 著=ルイ・アルチュセール 訳=宮林寛 発行=河出書房新社

 

二つの自伝『未来は長く続く』(一九八五年)/『事実』(一九七六年)を収録。
「未来は長く続く」とはド・ゴールの言葉だそうです。こういう言葉のチョイスにセンスがある。というか、そういうインチキなセンスだけでホンとは何も知らないんだよね、とかいろいろ書いてあります。バシュラール、フーコー、メルロ=ポンティ、ラカン、など著名人とのエピソードから、「病気」の話、妻の殺害、ド・ゴールとの架空会談や銀行強盗、潜水艦乗っ取りなど虚実妄想入り混じった奇書です。
 

ルイ・アルチュセール 訴訟なき主体

[2001年4月/四六判/283頁/¥3,000+150] 《エートル叢書》 著=エリック・マルティ 訳=椎名亮輔 発行=現代思潮新社

 

アルチュセールの思想を「狂気の文学」-ニーチェやマラルメに連なる-といった観点から読み解こうとしている本です。
ルソーは理論的困難を「文学への転移」によって抜け出した、とアルチュセールは論じているそうです。そしてこの本の著者によれば、それはアルチュセール自身のおこなったことでもある、などなど。
 

アルチュセール ある連結の哲学

[2010年9月/四六H/335頁/¥3,400+170] 著=市田良彦 発行=平凡社

 

アルチュセールの解説本のつもりで読むと、ますますわからなくなる。というか、まったくわからない。いや、わからなくて当然だ。「本とはそもそもわからないものなのだ、と佐々木中も言ってるよ」とか自己正当化するのは、佐々木中に怒られそうだから、しない。わからないが、面白い本であります。
 

パリ五月革命私論 転換点としての68年

[2010年7月/新書/477頁/¥960+48] 《平凡社新書595》 著=西川長夫 発行=平凡社

 

アルチュセールのこともちょこっとでできます。北朝鮮労働党と日本共産党との関係をアルチュセールに聞かれた著者は、答えられなかったそうです。

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元大鳴戸親方 相撲協会一刀両断 [復刻版]

[2011年3月/四六H/239頁/¥1,429+71] 著=高鉄山孝之進 発行=鹿砦社

 

連日ワイドショーを賑わせていた八百長問題。このころ海老蔵のことが忘れられていたかどうかも忘れ去られているのだが。頼みづらいことを頼む時、手抜きしたい時、ドッキドキ!LOVEメールを送りたい時、職場で、学校で、多くの人がこの「魔法の合言葉」を、「魔法の合言葉」ランキングにおいて「やればできる」から王座を奪取したこの「魔法の合言葉」を送信したハズだ(身に覚えがないとは言わせない)-「あとは流れでお願いします」-。

折角復刻出版したのに3.11が…。

 

 



忌野清志郎はやっぱり予言者だった




私はここ数年知り合った幾人かの人から、「話し方や雰囲気が忌野清志郎に似ている。」と言われたことがある。これまで忌野清志郎の楽曲はほとんど聞いたことがなかったし、彼についてもほとんど知らなかったが、そんな言葉を人から投げかけられるたびに、少しずつ彼への興味や関心が湧き始めて、最近ようやくイマーノ(忌野清志郎の自称)の音楽や著書を貪るように聞いたり読んだりするようになった。

そうして解かったことがいくつかあった。彼が孤独な大バカ者であり、必死に自分自身と戦い続けた人であり、自分自身を嫌悪し続けた人であり、人びとに認めて欲しくて、言葉に耳を傾けて欲しくて寂しがり屋だったということ。天災(天才)は忘れた頃に…とは言わないが、まさに私の中ではそういった感覚で、こんなにもすごい人がこの世に、しかもつい最近まで存在して高々と声を上げて歌っていたのか、なんでそんなことにも気付かなかったのだろう、とそう悔やまれるばかりである。人間という生き物は、何て愚かなのだろう。何度も同じ過ちを繰り返し、そして忘れていく。忘れていくのも人間の本質の一つであり、そのおかげで人生の中にどれだけ悲しいことや辛いことが待ち受けていたとしても生きていくことができるということも確かなのではあるが…。死んでから、失ってから、その人やモノが一体どれだけ自分にとって貴重で大事なものだったのか気がついても手遅れである。本当に大切なものの価値に気付けるだけできっと人生の見え方は大いに変わってくるのだろうと思う今日この頃である。

苦労なんか知らない 恐いものもない
あんまり大事なものもない そんなぼくなのさ

世間知らずと笑われ 君は若いよとあしらわれ
だけど今も夢を見てる そんなぼくなのさ

部屋の中で 今はもう慣れた
一人きりで ボンヤリ外をながめてるだけ

世間知らずと笑われ 礼儀知らずとつまはじき
今さら外には出たくない 誰かがむかえに来ても

部屋の中で 今はもう慣れた
一人きりで ボンヤリ外をながめてるだけ

苦労なんか知らない 恐いものもない
世間知らず 何も知らず
夢をまだ見てる
そんなぼくなのさ
そんなぼくなのさ
(「世間知らず」作詞・作曲 忌野清志郎)

しかし、だが。あのイベントは若手の出演者が多かった。そこに盲点があったのだ。楽屋はまるでにぎやかな部屋のように若手でムンムンし、キッカワやBOφWYやサンプラザになつかれちゃってまいったぜ。ヤツらはどーもオレのことをロック界の長老のように扱うから困る。どーしていいのか、ついついオレもニコニコしていたのがイケナかったよーだ。ヤツらはオレのことを「キヨシローさん」て呼ぶんだぜ。うー、もっと聞くからにロックっぺー呼び方をしてもらいたいもんだぜ(ちなみにオレの側近は「ボスッ!」と呼ぶんだ。どーだ。なかなかロックっぽいでしょ)。「4日連続してキヨシローさんの夢を見ました」とか言っていたBOφWYのホテイは、オレより背が2mも高いくせに、オレばかりたてやがって。キッカワだってそーだ。オレよりも肩幅が5mくらい広いくせに、やたら持ち上げる。俺はカスミ食って歌ってる、殿堂入りしたロックの仙人じゃないんだからさ。ライバルなんだぜ、オレたちは。(『忌野旅日記』、忌野清志郎著、音楽之友社、1987年、p.74より引用)

暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が立っていた
さっぱりわかんねえ 何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ 誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ 根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金とられ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえうちに 漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース
(「サマータイム・ブルース」歌詞より引用)

この歌の歌詞なんて、非常に痛快だ。もし今、忌野清志郎が生きていて、日本の現状を目にしたら、彼は一体何を思い、何をしただろうか?何を歌っただのだろうか?そんなif節を考えたところですべては無駄な話である。ちなみに今現在日本には55基の原子力発電所があり、2013・14年には福島原発の7号機・8号機の稼動開始が予定されていた。そして、まさに7号機・8号機の建設が開始される矢先に今回の東北大震災が起きた。これは単なる偶然か、それとも必然だったのか?

忌野清志郎はやっぱり予言者だった。

(文責:音楽雑誌Oar編集長 野上郁哉)





以前の記事でパキスタンにおけるイスラーム神秘主義に関係する音楽を多少なりとも概論的に紹介して来た。今回はもう少し踏み込んで、インド・パキスタンにおける伝統的なイスラーム神秘主義音楽伝統の一つ、カウワーリーについて考察を加えてみたいと思う。
古くは13世紀に起源を持つとされるこの音楽伝統は、カウワールと呼ばれる職能の演奏家集団によって今日まで歌い、継承され続けてきた。カウワーリーは、その詩の内容によってジャンル分けされており、神アッラーを讃える内容のものはハムド、預言者ムハンマドへの賛歌はナアト、スーフィー聖者への賛歌はマンカバトと呼ばれている。本来、偶像崇拝が固く禁止されており、神アッラー以外を褒め称える内容の歌があることはそれだけでも奇妙に思われることであるが、スーフィー聖者を尊崇することは様々な地域において民衆レベルで見られる現象であり、ワリー〈神に近しき者〉とも呼ばれるスーフィー聖者を崇拝することにより、神の愛の探求者である彼らの持つカラムkaram(神からの恩恵)に服し、間接的に神の恩寵に与ることを願うのである。そのため、多くの人々は聖者たちの持つ神秘的な力の、文字通りの「ご利益」を得るために、スーフィーたちの元へ集まり、彼らの死後も聖者廟を建て彼らを祭ることによって、次第に「聖者崇拝/聖者信仰」の伝統が確立していくのである。

インド・パキスタンのパンジャーブという地域はその地理的な条件から数多くの偉大な神秘思想家や神秘主義詩人、すなわちスーフィーたちを生み出した。アラブやペルシアのスーフィーたちも巡礼や遊行の果てにインドの地にまで足を伸ばし、彼らの思想はそれまでのインド独自の思想に新たな光を投じるとともに、逆にインドの思想をも貪欲に取り込んでいった。

oar.jpgパンジャーブを代表する偉大なスーフィー詩人をここでいくつか紹介する。
まず、はじめに名前が挙がるのが、シャー・フセインShah Husain(1539-1599)というスーフィー詩人である。バラモンのマードー・ラールMadho Lalという美少年を愛でていたため、マードー・ラール・フセインとも呼ばれる聖者である。ムガル皇帝フマーユーンの時代に生まれた彼は10歳でイスラーム教の聖典クルアーンを暗記し、若い頃からその傑出した知性を発揮していた。シャー・フセインはカーフィーkafiと呼ばれる形式の韻律を持つ短い叙情詩を数多く残した。





rabba mere hal da mahram tun
andar tun hain bahir tun hain rum rum wich tun
tun hain tana tun hain bana subh kujh mera tun
kahe Husain faqir nimana main nahin subh tun
神よ あなたは我が心境を知るお方
あなたは我が裡にも外にもおわします 小さな毛の一本一本にもあなたが
あなたは縦糸 あなたは緯糸 わたしのすべてはあなた
身卑しきファキール〈貧者〉フセインは申します わたしはなく すべてはあなた

この詩について少し解説を加えると、ハールhalという言葉はふつう、「状態」などの意味で使われるアラビア語であるが、スーフィー詩の文脈においては「悟りの状態」を意味する述語としてしばしば使用される言葉である。スーフィーたちは内面的・精神的修行を大変重要視しており、恐らくキリスト教異端のグノーティス〈神の霊的認知〉の思想を強く受け、内在神(人間の内面には元々神が内在している)を強く探求している。「縦糸」「緯糸」という表現は、恐らくシャー・フセインが下級の機織の家庭の出自であるということもあり、身近な光景からの描写を詩の中に織り込んだものと考えられる。縦糸と緯糸を重ねて折り合わせることで全世界を表しており、すなわちこの世界のすべては神によって成り立ち、創られているということを表現している。ファキールfaqirとはアラビア語で「貧者」を意味する言葉であるが、禁欲的で粗衣を身に纏った姿があたかも貧者のように見えるという意味からスーフィーを指す言葉としてもよく使われる。この詩でシャー・フセインは、すべては神によるものであり、自分自身すらも投げ出してすべての愛を神の前に無条件に投げ出している。そもそもイシュケ・ハキーキーishq-e haqiqi(真実の愛)は無条件であり、何らかの見返りを求めぬ純粋な動機による「愛」のことである。世俗的な欲求・欲望をすべて捨て去り、ただ純粋に神を愛する者だけが、真実の愛、つまり神の恩寵と無限なる至高の愛に浸ることが許されるのである。

カウワールたちはこういったスーフィー詩人たちの詩作を代々歌い継ぎ、現在にまで伝えたという意味で非常に重要な役割を果たしたのである。

(文責:音楽雑誌Oar編集長 野上郁哉)



読書の極意、教えます。



読書、というか本を読む上でまず第一に重要なのは、「楽しむこと」である。
「ずいぶんと長い時間をかけて読んだのにつまらなかったなぁ・・・」じゃあ勿体ない。変な言い方だがそれじゃあ、本の読み損であるかと思うし、また読まれた本も可哀想である。

そしてもう一つ大事なのが、テッテー的に《自己を空しくすること》である。
こういった言い方をすると非常に仏教的というか厳めしい印象を受けるが、実際にはそんなに難しいことではない。

仏教的な表現で言えば、自己を空しくする、余計な自我を滅し切って、目の前の襖や障子、衝立などその他すべての障害物を取り除き、文章をできる限り、文章そのままで自己の中に「取り込む」ことである。
また別の文脈から、たとえばイスラーム的な表現を借りるならば、幾重にも重なったヴェールを一枚一枚剥ぎ取っていき、完全に《裸の心》の状態で本を読むことが重要である。(もし文字通り「裸」で本を読んでいたとしたら、それはただの変態である)。

このようにしなければ、文章が自分の中に取り込まれる過程で「歪められて」理解されてしまう。つまり、余計な自我意識というのは、大変出しゃばりなものなので(・・・が好きであるとか、嫌いであるといったある物事に関する個人的な感情や評価など)、文章本来の意味を往々にして容易に歪めてしまうものである。

たとえば、
「私はリンゴが好きである」というような文章があったとする。この文章が意味するところは、この文章を綴った筆者自身が本当はリンゴが好きであるかどうかという事実判断は別にして、この文章内の主語である「私」はリンゴが好きである、というまさにそのことを意味しているものであって、決して「リンゴが嫌いである」ということを意味していないことは確かである。しかし、実際には筆者自身がリンゴが嫌いであったとしても文章上(言葉の上では)、「リンゴが好きである」ということは可能である。ここを取り違えてはいけないのである。従って文章そのものを「文章そのもの」として解析あるいは分析する場合、私自身はもちろんのこと筆者すらもまずは不純物として取り除いてしまうことが重要である。ただ、そうやって冷静に分析した後に、一体この筆者が何者であり、どういう思想を持っており、実際には「リンゴが好きであるか否か」、また好きである(或いは嫌いであるならば)なぜそのように言ったのか、を分析することも確かに重要である。つまり、しっかりと両側面から見つめなければならないのである。

このようにして、もしある文章を分析的に読み込む必要がある場合、徹底的に自己を空しくするべきである。理想は自分自身を、文章を読み取る単なる「ツール」「媒体」という程度に考えることである。たとえば、目やメガネは文字を映しはするが、それ自体は決して思考しない。本当に可能であるならば、目やメガネすらも最悪の場合、文章を「屈折させる」余地を持っているとして、それすらも捨て去ること、それが究極の理想的な読書の方法である。

「本が私なのか、私が本なのかわからない」

そういう状態(一種の神秘主義的理想形態ともいえるが・・・)、それほどまでに本や文章そのものに歩み寄った状態、それが読書の極みである。

・・・

ただ単に享楽として、気晴らしとして本を読むとしても同様のことが言えるかと思う。
本を読んで「悲しい」と思ったら泣けば良いし、「楽しい」と思ったら楽しめば良いし、とにかくその本に共感し、その本が訴えていることを感じ取ってあげることが大事である。そうすれば、たとえどんな本を読んだとしても、それはその人にとってまさに「特別な」本に早変わりする。

「急がば回れ」とはよく言ったものだが、アレは恐らく本当で、
「百回の速読よりも一回の精読のほうが結局は良い」と言えるのではないだろうか。

(文:音楽雑誌Oar編集長 野上郁哉)



古本は流転する



かのギリシアの哲学者ヘラクレイトスは言った「万物は流転する」と。確かにそうだ。地球も、人間の血液も常に循環している。決して止まることなく回転を続けている。そこで私はある二つの言葉をここで述べたい。それはつまり
「古本は流転する」
そして
「人の在るとこ古本屋在り」と。

・・・

凡そ本の読み方には大まかに分けて2つあると思う。それは「消費的読書(受動的読書)」と「創造的読書(積極的読書)」の2つだ。つまり、「消費的読書」とは、ただ単に本を読み物として「楽しむ」ことを目的として読む読み方であり、それは結局のところどこまで行っても消費されてお終いだが(そういう意味では食事に似ている)、一方、「創造的読書」は本をただ単に消費し、楽しむものとは見なさず、そこから得られる知識や情報をもとに、それらを改変・切り取りすることによって、新たな意味づけを加えたり、違った文脈に嵌め込むための知的創造の可能性を常に念頭に浮かべながら批判的・分析的に本を読む読み方だ。私はここでどちらの読み方が良く、どちらの読み方が悪い、ということを言いたいのではない。つまりは、その人の目的にあった方法で読めばそれで良いのだということである。

私はいわゆる「本気違い」というやつで、アラビア学、イスラーム学で有名な故前嶋信次さんの言葉を借りれば「ボードレールの詩散文には、人というものは、てんでに肩にシメール(怪獣)を背負って人生行路を辿っているという意味の一篇があるし、『アラビアン・ナイト』のシンドバードの冒険談の中にも、ひとたび人間の肩につかまったが最後、金輪際、離れることのない「海の老人」(シャイフ・ル・バハル)という厄介な怪物のことが出てくる」(『アラビア学への途−わが人生のシルクロード』、NHKブックス、1982年、p.9-10より)という言葉があるが、私はまさにこの「海の老人」というのに取り憑かれてしまったようだ。

11022101.jpg頭の中には古本屋マップみたいなものがあり、最近は古書店ノートもこっそりと付け始めた。はじめて訪れた町では必ず古本屋がないか探しながら歩いてしまうし、入ったが最後、一冊も買わずにお店を後にするということが困難なほどの重症だ。私は府中在住なので、当然近辺の古本屋には一通り、足を運んだが、中でもお気に入りなのが、府中駅のすぐ傍にある「木内書店」といういわゆる古本屋らしい古本屋だ。どのお店でも足繁く通っているとそのお店ごとの特徴というものが漠然とではあるが見えてくるようになる。木内書店は客層柄もあってか、時々ビックリするような掘り出し物が飛び出してくるのだが、一番最近購入したものの中でお気に入りは、オーストリア出身でドイツ語の詩人リルケの『リルケ書簡集?:ミュゾットの手紙』(高安国世、富士川英郎訳、養徳社、1950年)の初版である。なんと61年前に発行されたものが、今私の目の前にあり確かに存在しているのである。この感動と因縁めいたものを一体どのような言葉で表現したらよいものかといつも困るのである。

110221.jpgつい最近、東京都台東区蔵前にあるアノニマ・スタジオというところで行われた「BOOK MARKET 2011」というのに参加した。今年で3回目になるというイベントである。会場が二つあり、カワウソというもうひとつの会場で出展していた古本屋さんの本を眺めていると、この本がすぐに眼に入ったので、ビックリしてしまった。
元祖「サブカル王」とも呼ばれた文筆・批評家、ジャズ評論家でもある植草甚一さんの追悼特集号である『話の特集』という雑誌だ。生前この雑誌に記事を寄稿されていた植草甚一さんの思い出について語るような内容となっている。かの江戸川乱歩をして「俺の蔵書よりもすごいのがいた」と言わしめた古書蒐集家のゴッド・ファーザー的存在である。雑誌で特集をさせていただいた関係でそれから私もすっかり植草さんに心酔しきっているのだが、こんなところにも思わぬ出合いが転がっているのかと思うと、古本との出合いも一種のご縁だなぁと思わざるを得ないのである。

(文:Oar編集長 野上郁哉)



音楽と天才



 つい先日、NHK教育で放送していた坂本龍一が司会を務める音楽番組「スコラschola 坂本龍一 音楽の学校」という番組で4回に渡ってジャズの特集をしていた。ゲストに日本人のフリー・ジャズ・ピアニストとして有名な山下洋輔なども向かえ、ジャズの様々な要素について実践を加えながらの解説をしていた。その中で、ほんの一瞬だけではあるが、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーがサックスを吹いている映像が流れた。それを見たときに直感的に感じた。「ああ、この人は天才だな」と。
ちょっと前に読んでいた植草甚一の本の中にこんな言葉が書かれていた。「パーカーがなぜ“バード”という愛称をつけられたかは、いろいろな説があるが、鳥の歌う声とピッチのありかたが似ているからだと考えていいだろう。」(『モダン・ジャズのたのしみ(植草甚一スクラップ・ブック12)』植草甚一著、晶文社、1976年、p.81)より引用。
その映像を見た瞬間にこの言葉を思い出した。チャーリー・パーカーのサックスは確かに鳥の鳴き声のようだ!流麗で自由で楽しそうで。あんなにも自由にピッチを、あるいはサックスを操れる、ヒトが口で語る代わりに、まるでサックスで話をするように吹いている。これは確かに人間だけが理解できるある一定のパターン(型)を持った記号としての「言語」および「言葉」よりも、単なる音の流れとしてヒトの耳には聞こえるという意味で、彼のサックスの音色は鳥の鳴き声に似ていると言っていいだろう。なぜ、チャーリー・パーカーはあんなにも流麗なサックスが吹けるのだろうか?

・・・

その鍵が彼の「天才」だ、と私は思う。
そもそも我々が日常の中でもよく使うこの言葉、「天才」とか「才能」とは一体何だろうか?

彼の「天才性」は、間違いなく弛まぬ努力と練習量の賜物だ。こう言い切ってしまうと、なんだ、そんなことか、と思われてしまうかもしれない。だが、天才を語る上で重要なのはこの後だ。彼らは自分が血の滲むような努力や相当の練習を積んできたことすら意識していない。そのような思考が頭の中にはないのだ。いや、もしかしたらそれを意識しているかもしれない。だが、それは彼らの絶対的自信としてのみ働くのであって決して自分自身に溺れたり、満足してはいない。まさにこのことが彼らの天才性を背後から支えている絶対的要因だ。天才はどこまでいっても満足しない。常に「上」を見つめ続けている。だからこそ、進歩し続けることができるのだ。それが天才を語る上での絶対必要条件であるように思う。

・・・

黒人労働歌やブルースに根を持ち、ニューオリンズにおいて官能の音楽、ダンス・ミュージックとしての基礎を築き上げたジャズは次第にアメリカを北上していき、1940年代になるとニューヨークのナイト・クラブなどでモダン・ジャズ、さらに細かく言えば、「ビ・バップ」と呼ばれるいわゆる「聴く音楽」としてのジャズが発展した。
「バップは一九四六年ごろから一九五三年ごろにかけ、もっともモダンでポピュラーなジャズのスタイルとなった。」(同上、p.102)より引用。
このジャンルのジャズが「ビ・バップ」と呼ばれるようになったのには諸説あるがここでは触れない。トランペット奏者ディジー・ガレスピーとアルト・サックス奏者チャーリー・パーカーはその代表的アーティストといえる。この他にもこの時代には、マイルス・デイヴィスをはじめとし、ジャズの黄金時代を築き上げる数多くの天才たちが登場した。人種差別や劣悪な待遇、低いギャランティー、酒、ドラッグなど様々な周囲を渦巻く環境に手かせ足かせを掛けられながらも生きていた彼らに共通するのは、何だか「楽しそう」、それも底抜けに楽しそうだということだ。彼らは音楽に、ジャズに身を委ね、身の定まらぬ思いに絶えず右に左に揺り動かされながら人生そのものを文字通りスウィングSwingしていたのだった。

ヒトは天才に「生まれる」のではない。天才の天才性によってまさに天才に「成る」のだ。

(文:編集長 野上郁哉)



Rock 'n' Roll is still “Alive”



2010年は皆さんにとって、どんな年だっただろうか?
作家、中島敦の小説「山月記」の中にはこんな言葉がある。
「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」
私にとってこの一年は本当にこの言葉を痛感させられる一年だった。また人の縁にも恵まれた。「人」との出会いというのはそれだけでも十分人生の宝といえるものだと私は考えている。

・・・

さて、せっかくなので2010年の音楽について私が感じたこと・思ったとりとめもないことを徒然に書きなぐってみようかなと思う。
まずこんなことは私が言うまでもなく皆さんもお気づきかと思うが、それでも敢えて言うならば、音楽業界全体に対して感じるのは、音楽の完全なる資本主義化とコマーシャリズムである。つまり、「良いもの」が売れるのではなく、売れるものが「良い(あるいは正しい)」という価値観である。こういうとき、私たちは一度立ち止まって考え直さなければいけない。「果たして、あれは本当に「良い」ものであるのか?」と。人々はますます「審美眼」を失い、「本当に良いもの」が一体何なのか見分けることが出来ないほど鈍感で不感症になってしまっている。

「何ごとにつけ、成長の速いものは滅びるのも速く、ゆるやかに成長するものはより永続する。」(『鳩の頸飾り〈イスラーム古典叢書〉』イブン・ハズム著、黒田壽郎訳、岩波書店、1978年)p.45より引用。

売れるからには確かに何か人を惹きつける魅力があるには違いないが、数年後、中古CDショップの棚にガラクタ同然に積み上げられている光景を私たちは容易に想像することが出来る。音楽も即時的な享楽のための単なる消費物に堕してしまっていることの何よりの証拠である。これは非常に憂うべき状況である。いや、もうそもそもそんなことに一々杞憂せずにそれはそれとして静かに眺めていたほうがいいのかもしれない。逆に言えば、そのようにしてお金を循環させなければ音楽業界も成り立たないほどに衰退してしまっているのかもしれない。今の人たちはCDを買うのではなく、携帯電話やパソコンの音楽プレイヤーにダウンロードする形で音楽を楽しんでいる。CDという媒体に対する価値観が以前とは全く変わってしまったのだ。CDを買いに行ってジャケットや歌詞を見て楽しむことよりも、「今すぐに」「手軽に」ということのほうが今の人たちには重要視されているのだ。恐らくこのまま音楽の「電子消費」化が進めば、CDという媒体は消え去っていく。それが良いのか悪いのかは私にはわっきりと断言しかねるが、次のことだけは言える。
「ああCDは良かったなぁ・・・」などと無くなってから呟いてももう無駄である。

・・・

たとえば、今年流行したものに「AKB48」と「Girls Generation(少女時代)」がある。ともにいわゆるアイドル・グループとして今年の日本を大いに盛り上げてくれたが、すぐに気がつくのはその売り出し方の違いである。日本を代表するAKB48は歌唱力やダンスよりも「ルックス」「かわいさ」重視なのがよくわかるが、それに対する韓国のダンス・ユニット少女時代はプロモーションビデオなどを見ても、やはりダンスや衣装が非常に洗練されていてどちらかといえば「クールさ」が印象に残る。そして発表される楽曲は次々と日本向けに加工しなおされ、一つの「輸出品」として日本社会に浸透していく。このことから透けて見えるのは、やはりアジア全体において日本がいまだに大きな経済基盤と底力を秘めているということだ。
 
05.jpgさて、そんな華やかな音楽世界に対して、極めて男クサイ音楽世界がある。それは「ヘヴィー・メタル」だ。今年の春『アンヴィル!〜夢を諦めきれない男たち〜』という映画が日本で公開された。実に30年以上も活動を続けているにも関わらず運に恵まれず鳴かず飛ばずのカナダの“元祖メタル”バンドの一つだが、そんな彼らの友情と様々な葛藤を描き出したドキュメンタリー・フィルムだ。彼らの奏でる音楽はどれもがむき出しでエモーショナルなもので、必ずしも名曲とは言い難くとも、確かに心の奥底を揺さぶる何かがある。15歳の頃から一緒に音楽を奏で続けているギター&ヴォーカルのリップスとドラマーのロブは、新しいアルバムのレコーディング中に、他愛も無いことから口論をはじめ、遂にはロブがバンドを辞めるとまで言い出してしまう。すっかり感情的になってしまったリップスはどうしていいのかわからず、ロブのところに謝罪へ行く。そこでリップスはロブに対してこう言うのだ。「お前以外に一体誰に弱音を吐いたり、愚痴を言ったりできるっていうんだ!」。それほどまでにリップスはロブを信頼し、必要としていたのだ。この男たちのアツい友情には思わず胸を打たれ涙してしまった。二人の不和は解消し、13枚目のアルバムの製作も無事終了。そしてAnvilは今も大きな目標に向かって日々男クサク、Keep on Rockingし続けているはずだ。

かつて、レニー・クラヴィッツというギタリストが_Rock'n' Roll is dead”と歌ったが、ロックンロールはまだ死んではいない。 (文:編集長 野上郁哉)





パキスタンにはスーフィー音楽と呼ばれる伝統的な音楽があり、古典音楽と共に大衆の間で非常に人気がある。スーフィーとは、スーフィズムSufismと呼ばれるイスラーム神秘主義の道を実践する人々のことを指し、彼らの究極的目的は自己を虚しくし神と合一することである。彼らは人間の男女間の恋愛のように神を一心に愛し、自身の中に見出した神との恍惚の境地の中に物事の本質を見る。彼らはサマーと呼ばれる儀式の中で音楽を奏で歌を歌い踊りながら、半ば狂乱の境地で神へ埋没していく。音楽は彼らにとって、神へ近づくための重要な手段の一つであった。

パキスタンにおいては、2つの代表的なスーフィー音楽があり、それはカウワーリーQawwaliとダマールDhamalと呼ばれるものである。
カウワーリーはイスラーム神秘主義集団歌謡とも呼ばれ、ふつう2人の主唱者と数名のコーラス、手拍子やハルモニウム(オルガンのようなふいご付きの鍵盤楽器)やタブラー(北インド音楽の古典楽器で2対1組の太鼓)と呼ばれる楽器伴奏者などの一団によって演奏される音楽である。このジャンルにおいて特に有名なのがヌスラット・ファテ・アリー・ハーンやその甥ラーハト・ファテ・アリーハーン、サーブリー・ブラザーズ、シェール・アリー&メヘル・アリーなどである。
カウワーリーはヒンドゥスターニー音楽(北インド古典音楽)の祖とも呼ばれるアミール・フスラウ・デヘラヴィーAmir Khusrau Dehlavi(1253−1325)によって創始されたものといわれており、彼の作とされる「ラングRang」と呼ばれる曲は現在でも歌い継がれており、この曲が演奏されるときには、アミール・フスラウへの敬意を表して聴衆も立ち上がって音楽が拝聴される。アミール・フスラウもまた偉大なスーフィーの一人とされているが、その他にもバーバー・ファリード・ガンジシャカルやシャー・フセイン、ブッレー・シャー、スルターン・バーフーなど偉大なスーフィーたちの神秘詩が好んで取り入れられ、しばしば短縮されたり、他の詩と組み合わされたりして形を変えながらも現在まで歌い継がれてきた。
01.jpgカウワーリーは現在でも大衆の間で非常に人気のある音楽であり、テレビやラジオなどで聴かれることはもちろんのこと、現地では数多くのカセットやCDが発売されており、手軽に楽しむことも可能である。またパキスタン国内ではダルガーと呼ばれる聖者廟のいくつかにおいて、特定の曜日・特定の時間に聖者廟内の広場で人々の娯楽の一種としてカウワーリーの宴が楽しまれている。
 その一つ、パキスタンのラーホールにある聖者ダーター・ガンジバフシュ・ハジュヴェーリー(990−1077)の聖者廟においては、毎週木曜日の夕方カウワーリーが演奏され、その演奏を楽しむために数多くの人たちが集まってくる。2008年の取材の際に私も初めてこの聖者廟を訪れ、生でその演奏を楽しむことが出来た。聖者廟は人々の憩いの場・聖域として人種・宗教・身分などすべて関係なく万人に対し開かれている。
 02.jpgカウワーリーの時間になると次第に多くのイスラーム教徒の男性たちが集まってくるが、女性の姿はほとんどみられない。女性たちの立ち入りが禁じられているわけではないが、基本的に女性たちは男性たちの後ろに分かれて控えることになる。一日に10組以上のカウワーリーの楽団が登場し、その技を競い合うかのように熱演を聞かせてくれる。それぞれの楽団はわずか5分から10分程度しか演奏できず、少しでも長くそして良い演奏を披露するために、人々の様子や会場の雰囲気を探りながら演奏を盛り上げていく。演奏が盛り上がるにつれ、立ち上がり陶酔したように踊りだす人々も出てきて、会場の熱気はピークに達する。こうして人々は音楽を通して神へと近づいていく。

 もう一つの代表的なスーフィー音楽ダマールはラール・シェへバーズ・カランダルLal Shahbaz Qalandar(1177−1274)という聖者によって創始されたといわれ、これは日本で言えば踊念仏のようなものだ。「マスト・カランダル・ジューレー・ラールMast Qalandar Jhule Lal(陶酔した遊行者、ジューレー・ラールよ)」という掛け声と共に、ドールという両面大太鼓をリズミカルに演奏しながら、回転して踊る神秘主義恍惚舞踏である。
 03.jpgこれは現在ラーホールの南にあるシャー・ジャマールShah Jamal(?−1639)という聖者の聖者廟において毎週木曜日の夜に演奏されていて、パップー・サーイーンとジュ―ラー・サーイーン、グーンガー・サーイーンとミットゥー・サーイーンというドール演奏家のペアが有名である。

 ラーホールから南に80kmほど下ったところにパットーキーという小さな街がある。パンジャーブ州ラーホール県カスール郡のパットーキーは、パットワーンというヒンドゥー教のカーストにちなんで名づけられたといわれている。この街の有名なスーフィーの一人にバーバー・アッバース・アリー・シャーBaba Abbas Ali Shahというスーフィーがおり、毎年9月6日から3日間ウルスと呼ばれる命日祭が行われる。ここでも数多くのドール演奏家たちが集まり、夜通しダマールの演奏が行われる。聖者廟の周りはものすごい興奮と熱気に包まれ、集まった人たちの気分も否応なく高揚してしまう。日本のお祭りに似た雰囲気で、露店ではお菓子やおもちゃ、パーンと呼ばれる噛み煙草など様々なものが売られ、無料の食事も振舞われる。聖者廟の周りには聖者の恩恵にあずかろうと老若男女問わず、多くの人々が詰めかけ息をするのもやっとというほどである。あたり一面はドール演奏家たちの耳を劈くような爆音に包まれており、この3日間人々は眠りも忘れて踊り狂い、聖者を褒め称えその死を弔うのである。
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(文:編集長 野上郁哉)




○私的音楽研究その壱



○私的音楽研究その壱

ご専門は何ですか?と聞かれたら、「パキスタン音楽」ということになるのだろうか。正直自分でもよくわからない。

うちの雑誌はよく、「ワールド・ミュージック」やら「民族音楽」の雑誌と言われる。まぁ、的外れではないし、一見する限り正しい見方のように思えるが、私はそんな風に思って作っているつもりは全くない。これっぽっちも。

なぜかというと、元々は私自身ロックや日本のポップスばかり聞いているどこにでもいる少年だったし、今でもロックは大好きだが、大学に進学して南アジア地域(インド亜大陸を中心とした周辺諸地域)の研究をする中で、インド音楽などにも触れるようになり、さらに様々な音楽への興味・関心が広がり、「音楽そのもの」がさらに好きになったからである。よく人から聞かれることなのだが、「やっぱり、民族音楽が好きなんですか?」と聞かれると、ついついムキになって否定してしまう。周りにそういう風に決め付けられるとぶっ壊したくなる悪い癖が昔からある(笑)。違うんです!私は音楽そのものが好きなのであって、決して民族音楽「だけ」を追っかけているわけではないのです!

もし、この国に「ロック好きな人はロック以外聞いてはいけない」「民族音楽が好きな人は民族音楽以外聞いてはいけない」という法律でもあれば別だが、そうではなく、どんな音楽でもすべての人に平等に開かれている。それをセレクトして限定してしまうのはあくまでもその人個人である。だから私はこう考えてしまう。

「ロックが好きだけど、クラシックも好き、だけど、ジャズも好きだし、民族音楽も好き。というかやっぱり私は音楽が好き。これだけ世の中に音楽が溢れているのにわざわざ自分の好きなジャンルを限定して聞かず嫌いをするなんてそんなのは人生の半分を損しているようなもんだ!」

まぁ、こういったわけであのような節操のない音楽雑誌を作っているわけである。

・・・

さて、今回はせっかくなので、私的音楽研究ということでパキスタン音楽について少し紹介してみたい。一口にパキスタン音楽といっても当然他の国と同様、様々な形式・ジャンルの音楽が存在する。インド・パキスタン共有財産である古典音楽から西洋に引けをとらないロックやポップスまで驚くほどの魅力に溢れた音楽文化が咲き乱れている。その中でも今回はOarのNo.002でも紹介したアフガニスタンとの国境沿いの街ペシャーワルでの音楽体験について詳細に語ってみたい。

ペシャーワルはパキスタンのNWFP(北西辺境州)にあるアフガニスタンとの国境沿いの街で、ハイバル・パフトゥンクワ州の州都である。しばしば紛争の舞台ともなり、国際テロ組織アルカーイダやターリバーンの温床ともなっている地域としてニュースなどでもしばしば取り上げれる。住人のほとんどがパシュトゥーン人である彼らの共通語は民族言語であるパシュトゥー語である。
イスラーム教においては、預言者ムハンマドの言行から音楽がしばしばマクルーフ(禁忌すべきもの)として問題視されることがある。ムハンマドの言行録『ハディース』の中に、「太鼓を壊せ」や「預言者が音楽を耳にしたとき両の手で耳を塞いだ」といった記述が見られるからである。しかし、こういった記述は音楽そのものを禁止することを必ずしも明示するものではないし、イスラーム教徒の聖典である『クルアーン』の中にも音楽を禁止するような記述はどこにも見当たらない。それにも関わらず、厳格なイスラーム教徒はそういった記述を根拠に音楽をハラーム(神によって禁止されたもの)として音楽を嫌う傾向がある。ペシャーワルという街もそういった例に漏れず、2002年10月の州総選挙の際に誕生した超保守派のムッタヒダ・マジュリセ・アマルMuttahida Majilis-e Amal(統一行動評議会)が選挙に勝利し州の実権を握るようになると、公的な機関での音楽演奏が禁止され、CDショップの爆破などが黙認された。
政情不安定で、現地の人々にも『ペシャーワルへ行くのはよしたほうがいい』とたびたび言われたが、人間というのはダメといわれると返ってそうしたくなるもので、私もその例に漏れず好奇心を抑えきれずに2008年の取材の際にペシャーワルにも足を踏み込んでしまった。しかし、これによって得られた音楽的収穫は想像以上のものだったということを今になって改めて再認識している。


oar_2_1.jpgペシャーワルに着いた翌日、朝から街中を歩いているとある一人の青年から日本語で話しかけられた。まさかペシャーワルの街中で日本語を耳にするとは思いもしなかったのでだいぶ驚いてしまったが、話をしてみるとどうやら胡散臭い人物ではないらしい。ジャーナリストであるという彼は自分の写真入の身分証を見せてくれ、しばらく街中を案内してくれた。音楽を探してこの街に来たんだということを話すと、彼はある人物のところへ私を連れて行ってくれた。そこで出会ったのが、この時の取材のキーマンとなる人物「プリンス」こと、マヒールッラー・ハーンMahir ullah Khanだった。彼はこの街でThe World Welfare OrganizationというNGOを組織し、“World Probrems”という雑誌も発行している人物だった。彼にペシャーワルの音楽が聞きたいと話すと、早速私を知り合いの古典演奏家のもとへ案内してくれた。



まず最初に出会ったのが、タハマーシュ・ハーンという古典演奏家で、彼はバーンスリー(竹笛)とラバーブという弦楽器の演奏を聞かせてくれた。私がスーフィー音楽(イスラーム神秘主義音楽)を聞きたいとリクエストすると、ペシャーワルに伝わる伝統的な民話をモチーフにした楽曲をいくつか聞かせてくれた。

oar_2_2.jpgその後、今度はとあるカセット・テープ屋に立ち寄った。そこの店先で出会ったのが、ザイヌッラー・ウマルザイーという人物で、彼はチトラーリー・シタールと呼ばれる楽器の演奏家でサウンドプロデューサーでもあった。チトラーリー・シタールはインド古典音楽で広く使われているシタールとは異なり、弦は2本のみで、棹が長くトルコのサズやイランのタンブーラにより形の近いリュート型の楽器である。彼は近くのレコーディング・スタジオで演奏を聞かせてくれ、別れ際にはお土産にと彼がプロデュースをした音楽テープをプレゼントしてくれた。

そして最後に出会ったのが、エージャーズ・サルハディーという演奏家で、彼はサーランギーというヴァイオリンに似た美しい音色を出す擦弦楽器の演奏家だった。この楽器は地域によって若干形状は異なるもののパキスタンだけでなく、インドやネパールでもよく演奏されている。この人はパキスタン国内でも割りと有名な演奏家らしく、Youtubeなどでも彼の演奏を聞くことが出来る。

http://www.youtube.com/watch?v=Ok37vOU7B5M&feature=related


oar_2_3jpg.jpgこれは帰国してから分かったことなのだが、実はこの人の父親はムニール・サルハディーという有名なサーランギーの古典演奏家で、「これは読んでおいた方が良いんじゃない?」といってたまたま教授から手渡されたパキスタンの民俗楽器についてウルドゥー語で書かれた研究書の中に彼の父親であるムニール・サルハディーの写真が掲載されていて本当に驚いた。よくよく考えてみれば、現地では私一人のためにサーランギーを演奏してもらい、その音色に酔いしれることが出来たのだから、非常に貴重で贅沢な体験だったんだなぁとなんとも言えない不思議な気持ちになるのであった。
(文:編集長 野上郁哉)
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MATA & BABY NU☆MAN

植草甚一さんについてちょっと語ってみようか。




1908年(明治41年)8月8日、木綿問屋の長男として生まれたある一人の男。名を植草甚一という。後に人をして『元祖雑学王』だとか呼ばれて多くの文化人に影響を与えた「すごいじいさん」である。
私が初めて植草甚一さんに出会ったのは『ジャズ・エッセイ2』(河出文庫、1983年)でのことだった。ジャズ評論家の岩浪洋三さんがこの本で解説を書いているのだが、そこに面白いことが書かれていて、心にグサリと突き刺さったので引用してみたい。

「昔植草氏を訪ねた江戸川乱歩がその蔵書の量をみて、おれより凄いやつがいるといって驚いて帰ったそうだが、一時世田谷の赤堤のお宅は本だらけで置場に困った揚句本を二段に重ねてその上にふとんをしいて寝ていたそうだ。寝床に入ってからでもふとんの下からひょいと本を引っ張り出して読めるから便利だといわれたが、ちょっと真似のしようがない。…」(p.258より)

 1935年27歳の頃から1948年40歳の頃まで東宝の社員として働いた植草甚一さんは、映画や海外小説の評論家として徐々に世の中に知られていくようになっていったが、まさにキチガイなほどの本の蒐集家としても有名である。そんな植草さんの人柄を端的に表したこの文章を読んだときに私はこともあろうか、『自分もこうなりたい!!』と思ってしまったのである。それ以来私も古本キチガイになってしまった(苦笑)。
 
   ・           ・           ・

 少し前に、日本人の哲学者として有名な木田元先生の『闇屋になりそこねた哲学者』(ちくま文庫、2010年)という本をふと好奇心から読んでみた。すると木田先生が特に親しくしていた学者や知識人の中に、ある二人の人物の名前が挙がっていた。そのうちの一人は小野二郎、そしてもう一人は佐伯彰一である。小野二郎さんは1960年に中村勝哉氏とともに晶文社を設立し、晶文社の編集長を務めたことでも有名な人物かと思うが、よくよく考えてみると植草甚一さんの著書の多くがこの晶文社から出版されているのである。つまり、植草甚一さんにとっても小野二郎という人物はまさに「盟友」であったということが見えてくる(ちなみに1968年に晶文社から出版された『モダン・ジャズの発展:バップから前衛へ』には「小野二郎氏に」という献辞が添えられている)。

植草甚一さん.jpg
もう一人、英文学者の佐伯彰一さんは東大を定年退職された後、中央大学で教鞭をとっていたため、木田先生はその関係から同じく中央大学で教鞭をとっていた際に親しくさせていただいていたという。なぜわざわざ佐伯彰一さんの名前を挙げたかといえばつまり、2007年に世田谷文学館で行われた「植草甚一展」の際に販売されたパンフレットに序文を寄せていたのが何を隠そうこの佐伯彰一さんだったからである。
こういったところから、私は哲学者木田元さんと雑文学者植草甚一さんという全く畑の違う二人の人物の意外な「つながり」を感じずにはいられないのである。

先に挙げた植草甚一展の際に発売されたパンフレットには、植草さんが亡くなられる前年、つまり1978年の『ユリイカ』(青土社)の植草甚一特集号に掲載された記事が再収録されているし、同じくパンフレットに掲載されていた原稿写真の中に『血と薔薇』という雑誌に宛てて書いた原稿の写真が掲載されていた(左写真がパンフレット表紙)。『血と薔薇』といえば、フランス文学者の澁澤龍彦が責任編集を務め、三島由紀夫や稲垣足穂、塚本邦雄など錚々たる執筆者を迎えて1968年に創刊された「エロティシズムと残酷の綜合研究誌」だが、植草さんはこんな雑誌にまで記事を執筆していたのだ。よくよく考えてみると確かに植草さんは海外の同性愛モノやマスターベーションなどをテーマに書かれた小説なんかも読んでいたようなので、果たせるかなそのような小説に関する内容の原稿が掲載されていた。こういった「発見」も、もし私が植草さんに触発されて古本の蒐集をしていなかったら決して出来なかったことだなと思い、すっかり嬉しくなったのを覚えている。

さて、植草さんといえば、晶文社から発売されている『スクラップ・ブック』が有名だが、全40巻のうちの第32巻『小説は電車で読もう』(1979年)では作家の筒井康隆氏が解説を書いている。私は特にこの筒井康隆という作家が好きなのだが、彼の著書『みだれ撃ち瀆書ノート』(集英社文庫、1982年)には、この解説文が再録されていて、ああ、こんなところにも植草さんが顔を出していたのかと感動したものだった。
つい最近、ノンフィクション作家として有名な沢木耕太郎の『バーボン・ストリート』(新潮文庫、1989年)というのを購入してパラパラっとページをめくっていたら、目次に目が留まった。「ぼくも散歩と古本がすき」という章があり、ああ、これは植草さんの『ぼくは散歩と雑学がすき』(晶文社、1970年)という著書のタイトルを文字ったものだなと思うと、大当たり。中を読んでみるとやはり植草さんのことが書いてあった。その中で植草さん本人の文章が引用されているのだが、そこで「遠藤」という名前が出てくる。これは植草さんが生前住まわれていた経堂のすずらん通りにある『遠藤書店』という古本屋の名前を指している。今回の雑誌を発行する際に実際に遠藤書店にお邪魔して現在の店長遠藤晃一郎さんにも少しお話を伺ったが、植草さんは週に3度も4度も足を運んだという。
何の因果か、その遠藤書店にもうちの雑誌を置いてもらえることになった。これはきっと神の…いやいや、そんな罰当たりなことはいえない、植草さんのお導きなのだなぁと、ただただ恐れ入る今日この頃である。
(文:編集長 野上郁哉)



植草甚一ぼくたちの大好きなおじさん J・J 100th Anniversary Book

目次:<ロングインタビュー>植草甚一の秘密/植草甚一肉声収録CD付き/他執筆陣:浅生ハルミン/阿部嘉昭/大谷能生/岡崎武志/荻原魚雷/小田晶房 /小田島等/小野耕世/恩田陸/春日武彦/鏡明/岸野雄一/北沢夏音/北山耕平/近代ナリコ/杉山正樹/樽本樹廣/千野帽子/筒井武文/萩原朔美/秦隆司 /福田教雄/前田司郎/安田謙一/山崎まどか/ほか

[2008年8月/B5/173頁/¥2,200+110] 編=晶文社編集部 発行=晶文社

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