2011年1月アーカイブ



「就活どうにかしろデモ」の報告と、これからへの個人的な願い

11月23日に行われた「就活どうにかしろデモ」には実行委員会が当初に予想した以上の人が参加してくれた。このデモと同趣旨のデモは東京のほかに札幌、大阪、松山で同時に行われたのだが、どの地区も盛況のままデモを終えることができたらしい。デモ後にはテレビ・新聞などでも報道していただいた。広く多くの方に対しての問題提起という実行委員会内で最大の目的としていたことは果たせたのではないかと思う。

 現在の就活は当事者である学生にとって理不尽だと思われる点、効率的ではないと思う点が少なからずある。就活の早期化、内定率の低さ、息を吐くように嘘をつくことが求められる面接(某中堅企業に内定をもらった僕の友人の言葉)などがそれにあたる。
そのような批判や不信感を大きな一括りとして「現在の就職活動はおかしい!」と当事者である学生が中心となって声をあげようではないか。おおざっぱに言うと「就活どうにかしろデモ」というのはそのようなデモであった。

以上のように僕たちがデモの目的としておいたのは、就活の(自分たちが感じる)矛盾点の指摘とその矛盾点を広く多くのことに対して問題提起することだった。そのため「デモの準備段階で、またはデモが終了した今でもよく聞かれる次の質問には実行委員会の中で統一された答えは現段階ではない。
「具体的に就活のシステムをどう変えたいの?」
もちろん明確なビジョンを持って行動している人もいるし、そうではない人もいる。ちなみに僕個人では「こうなったらいいなぁ」という理想はあるが、その理想達成のためのプロセスや理想のシステムを維持するためのディティールを持ち合わせているわけではない。恐らくだが、当日参加者の中には「内定がもらえない」「なんか就活がムカツク」といった感情論優先で参加した人もいると思う。

僕はそのようなことを悪いことだと思わない。むしろ肯定的に捉えている。この生きにくい社会の中で、たとえ対案がなかろうが感情優先だろうが、自分の周辺にある矛盾を社会に向けて発信することはとても重要なことだと思う。その声はもしかしたら別の誰かを救うかもしれないし、賛同してくれる仲間が見つかるかもしれない。
「就活どうにかしろデモ」における影響が、「就活」という枠組みに留まってほしくない。一人でも多くの人が、目の前の不条理に対してもっと自由に声をあげることができる社会になってほしいと思う。



毛と穴"創姦"!!



毛と穴"創姦"!!
執筆および参加者 いちむらみさこ、上間愛、うてつあきこ、桐田史恵、栗田隆子、根来祐他―

―2010年4月某日(詳細は穴の巻を参照のこと)宮下公園のナイキ化に反対する女達が公園に集まり"穴あきの会が生まれた―。
宮下公園は皆の公園なのだと主張する運動のなかでともすると「ジェンダーの視点」は忘れられやすい。また「女性や子どもの安全のために」と女性や子どもを利用する形で宮下公園のナイキ化計画は進められた。それに対して「NO!」を突きつけるものとして“穴あきの会は誕生した。
実際、女にとって公園が居心地が良いかと言われればYes、とは言い難い。公園で穴を掘ったらヤジられる(これに関しては本誌参照のこと)、夜集まれば“見回りです”と赤いベレーの男たちが来てしたり顔、とかく女に居場所がない―ということだ。それはとりもなおさず女たちが公的空間においての居場所がないという社会そのものなのである。穴あきの会は「公園に居続けること」が活動の大きな目的となっていた。またさらに「運動」という公的な営みにおいても女性は居場所がなく、排除すらされてきている現実に対し、女たちで力を与え合う場所にもなった。
この同人誌「毛と穴」は、穴あきの会の有志たちが集り、自ら編集・印刷そして創刊、もとい "創姦"したものだ。姦という字は禍々しい。それはこの字を生み出した社会が、女達が集まり力を持つことへの恐れを表しているのだろう。そういえば小さい頃から女が集まると「姦しい」だの「ぺちゃくちゃしゃべって」だの「仲良しごっこ」だのと言われてきた(今も言われることがある)。しかし女性が集まることを警戒する人間たちこそ、もっとも女性たちの力を知っているのだろう。私たちは自らが集まることの可能性を信じ、自らの力 に変え、社会へと表現し、この冊子を三人以上の多くの女たちと出逢ってゆくための媒体にさせてゆきたい。



毛と穴 毛の巻/穴の巻

毛と穴"創姦"!! 執筆および参加者 いちむらみさこ、上間愛、うてつあきこ、桐田...

[2010年12月/A5/各44/¥500] 編=栗田隆子 発行=毛と穴

音楽と天才



 つい先日、NHK教育で放送していた坂本龍一が司会を務める音楽番組「スコラschola 坂本龍一 音楽の学校」という番組で4回に渡ってジャズの特集をしていた。ゲストに日本人のフリー・ジャズ・ピアニストとして有名な山下洋輔なども向かえ、ジャズの様々な要素について実践を加えながらの解説をしていた。その中で、ほんの一瞬だけではあるが、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーがサックスを吹いている映像が流れた。それを見たときに直感的に感じた。「ああ、この人は天才だな」と。
ちょっと前に読んでいた植草甚一の本の中にこんな言葉が書かれていた。「パーカーがなぜ“バード”という愛称をつけられたかは、いろいろな説があるが、鳥の歌う声とピッチのありかたが似ているからだと考えていいだろう。」(『モダン・ジャズのたのしみ(植草甚一スクラップ・ブック12)』植草甚一著、晶文社、1976年、p.81)より引用。
その映像を見た瞬間にこの言葉を思い出した。チャーリー・パーカーのサックスは確かに鳥の鳴き声のようだ!流麗で自由で楽しそうで。あんなにも自由にピッチを、あるいはサックスを操れる、ヒトが口で語る代わりに、まるでサックスで話をするように吹いている。これは確かに人間だけが理解できるある一定のパターン(型)を持った記号としての「言語」および「言葉」よりも、単なる音の流れとしてヒトの耳には聞こえるという意味で、彼のサックスの音色は鳥の鳴き声に似ていると言っていいだろう。なぜ、チャーリー・パーカーはあんなにも流麗なサックスが吹けるのだろうか?

・・・

その鍵が彼の「天才」だ、と私は思う。
そもそも我々が日常の中でもよく使うこの言葉、「天才」とか「才能」とは一体何だろうか?

彼の「天才性」は、間違いなく弛まぬ努力と練習量の賜物だ。こう言い切ってしまうと、なんだ、そんなことか、と思われてしまうかもしれない。だが、天才を語る上で重要なのはこの後だ。彼らは自分が血の滲むような努力や相当の練習を積んできたことすら意識していない。そのような思考が頭の中にはないのだ。いや、もしかしたらそれを意識しているかもしれない。だが、それは彼らの絶対的自信としてのみ働くのであって決して自分自身に溺れたり、満足してはいない。まさにこのことが彼らの天才性を背後から支えている絶対的要因だ。天才はどこまでいっても満足しない。常に「上」を見つめ続けている。だからこそ、進歩し続けることができるのだ。それが天才を語る上での絶対必要条件であるように思う。

・・・

黒人労働歌やブルースに根を持ち、ニューオリンズにおいて官能の音楽、ダンス・ミュージックとしての基礎を築き上げたジャズは次第にアメリカを北上していき、1940年代になるとニューヨークのナイト・クラブなどでモダン・ジャズ、さらに細かく言えば、「ビ・バップ」と呼ばれるいわゆる「聴く音楽」としてのジャズが発展した。
「バップは一九四六年ごろから一九五三年ごろにかけ、もっともモダンでポピュラーなジャズのスタイルとなった。」(同上、p.102)より引用。
このジャンルのジャズが「ビ・バップ」と呼ばれるようになったのには諸説あるがここでは触れない。トランペット奏者ディジー・ガレスピーとアルト・サックス奏者チャーリー・パーカーはその代表的アーティストといえる。この他にもこの時代には、マイルス・デイヴィスをはじめとし、ジャズの黄金時代を築き上げる数多くの天才たちが登場した。人種差別や劣悪な待遇、低いギャランティー、酒、ドラッグなど様々な周囲を渦巻く環境に手かせ足かせを掛けられながらも生きていた彼らに共通するのは、何だか「楽しそう」、それも底抜けに楽しそうだということだ。彼らは音楽に、ジャズに身を委ね、身の定まらぬ思いに絶えず右に左に揺り動かされながら人生そのものを文字通りスウィングSwingしていたのだった。

ヒトは天才に「生まれる」のではない。天才の天才性によってまさに天才に「成る」のだ。

(文:編集長 野上郁哉)



<   2011年1月   >
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
リンク
★☆模索舎ブログ☆★


自薦・他薦

連載/コラム

特集〜インタビュー・活動紹介など