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自選文-『シナリオ読もうぜ!』



 現在の映画はあまりに人物の内面に寄り添いすぎていないだろうか。それではあまりに謎が少なすぎる。あるいは人物の性格の特異さや設定や展開の奇妙さにのみ依拠しすぎていないだろうか。それではあまりに謎が多すぎる。いずれにしても自意識は温存され、映画は何も揺り動かすことはないままである。
 シナリオライター井手俊郎はそうした自意識の遊びには一切興味を示さなかった。彼は人物の「目」をただひたすら見つめ続けた。目には全ての情報がある。人物のアクティヴィティーが集約されている。だが、それはあまりにも強すぎて、わずかなやり取りだけで何もかもを変化させてしまう。目は物事を見定めるための器官ではない。眩暈を起こしつつ、物事を変化させる器官なのである。
 我々は井手のシナリオを読みつつ、人物たちの眩暈に巻き込まれていく。彼の作品には常にさわやかで生々しい風が吹いている。人物たちが自分の立ち位置を、取り巻く関係をその「目」で見つめ直すときに風は吹き荒れ始め、彼らをすっかり変えてしまう。だが、彼らには自分を変化させたものを見定め、名付けることができない。風はその場でその一瞬に吹いたきり、彼らの元には戻ってこないのだ。
 井手俊郎のシナリオは戦後映画に画期をもたらした。彼は死に至るまでの30年以上に渡り、アクチュアルなシナリオライターであり続けた。だが、同時に明確で一貫した主張や美学の見出しにくい作風ゆえに、共同作品や脚色が多いことも相俟って不当に(あるいは正当に?)軽視され続けてもいたと思う。本書の目論見の一つは、彼の代表的なシナリオやエッセイの紹介、フィルモグラフィーやビブリオグラフィーの作成によって、戦後映画史における井手俊郎という存在が占める位置を確定しようというところにある。だが、それ以上に、むしろその主張や美学に収斂されない曖昧さに現在の映画を活性化する要素を見出し、再導入しようとするものでもある。いかに風を吹かせられるか。いかにシナリオを自意識から可能な限り自由にできるのか。生誕100年、井手は今もなお新しい。

シナリオ読もうぜ!

目次:井出俊郎について=中矢名男人/〈作品論〉:洲崎パラダイス 赤信号/妻の心/母三人/銀座の恋人たち/河口/B・G物語/二十才の設計/旅愁の都/若草物語/河内カルメン/続・何処へ/ほか

[2010 年/A5/108頁/¥500] 特集=生誕百年 井出俊郎を読む 

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