Voice Of Mosakusha Online

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2009年7月アーカイブ

ムービーアイPresents「バーダー・マインホフ 理想の果てに」公開記念
「革命〜70年代ドイツ赤軍の闘争史は、今なお矛盾に満ちた現代社会を激しく撃つ!」

今夏、ドイツ現代史最大のタブーとされたドイツ赤軍10年の闘争史をドイツ映画史上最大のスケールで製作され、「おくりびと」と2009年アカデミー賞外国語映画賞を争い、世界映画賞で絶賛された衝撃の問題作が遂に解禁となる。
独逸人アンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフを中心に結成され、日本赤軍とも交流のあった彼らが正義を追求する中で、より過激なテロ活動に手を染め次第に人間らしさを喪失していったことを改めて当時を知る人や研究者を集め再検証。
若者たちの理想が行き着く果てにあるのは、勝利か、虚無かー。

【出演】
足立正生(元日本赤軍所属、映画監督)
鈴木邦男(政治活動家 新右翼団体 一水会顧問)
三島憲一(東京経済大学 名誉教授 ドイツ哲学者))
森直人(映画批評家、ライター)


OPEN18:30 / START19:30
前売¥1,500/ 当日¥2,000(共に飲食代別)

前売チケットはローソンチケット【L:37868】とロフトAでのWEB予約にて発売!
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=162

http://www.baader-meinhof.jp/

上記の阿佐ケ谷ロフトAイベントに模索舎も出店します。
当日は7月に刊行されました重信房子氏の新著「日本赤軍私史 パレスチナと共に」
などドイツ赤軍/日本赤軍に関する書籍を多数販売の予定です。

模索舎月報09-7月号

ウメウメ書評――泳げるようになってから…

暑いので、ウメます。

…朝鮮では四種類の食糧供給源が並存することとなった。すなわち国家糧政(配給制度)、機関配給(勤めている企業や組織からもらえる分)、ジャンマダン(市場)、個人耕作地…である。ー『リムジンガン2号』p73ー

… つまり朝鮮に対する外国からの支援は、「食料へのアクセス権」の平等化という当面の課題(配給システムの復旧強化がその方策の一つ)と、朝鮮を市場経済体制に誘導して軟着陸させるという戦略的課題(米の市場流通を促す)とが、常に競合してしまうという矛盾にぶつかってしまう。ー『リムジンガン2号』p80ー

…注意が必要な点がある。それは、ここまで見てきたような外貨調達ビジネスの持続が、朝鮮における「資本の初期蓄積過程」だとする見解の危険性だ(韓国の研究者の中に散見される)。この見解は、朝鮮において「資本の蓄積」が改革開放の必要条件だとしながらも、外貨調達ビジネスそのものが、「われわれ式社会主義制度」と先軍政治が存続することを前提としていることを深く考慮していない。そんなやり方で資本が蓄積していくことによって、朝鮮の政治のファッショ化と思想文化の(外部社会との)異質化が、さらに深刻化するという視点が欠如していることである。ー『リムジンガン創刊号』p148ー

…いずれ現在の古い経済制度は全面的に崩壊するだろう。その時が歴史的な新しい秩序創造の大きなチャンスになるはずだ。このチャンスを、人民が豊かに暮らすことに貢献する正常な国家建設のために正しく利用するのか、それとも不正腐敗と権力ばかりが幅を利かせる世の中のために利用することに終わるのか、いまはその岐路にある。ー『リムジンガン3号』p112ー

『リムジンガン』に寄稿するどの識者も「市場経済」への流れは押しとどめようがない、ということで意見は一致しているようです。

 市場経済移行への予期は、市場という「ゲーム」における有利なプレーヤーになるべく、軍官僚/政府官僚を、不正蓄財へと、外貨調達へと駆り立てる。そしてそのためには現状のジャンマダン(市場)」/配給混合経済を維持しなければならない。不正蓄財は横流しする「闇市場」の存在がなくてはならないからだ。これはソ連/東欧の崩壊でもみられた現象で、市場経済では張り金は多ければ多い程いいし、勝ち組になれるだけの財とコネクションを形成しておくに越したことはない。のび太くんのように「泳げるようになってからプールに行く」つもりなのだ。

 のび太くんがプールに行かなくても困らないが、食糧が分配されないのは大問題だ。飢え死にしないためには“「食料へのアクセス権」の平等化"がなされなければならないが、同時に”市場経済への軟着陸”のため、各プレヤーヤーが「平等に」市場ゲームに参入するための財の適切な配分をも同時に達成しなければならない。

 そのためのにはさまざまな「矛盾」につきあたる。市場ゲームの適切な「初期配置」のためには国家権力を強化しなければならず、国家権力を強化は先述のように不正蓄財をもたらす。仮に綱紀が粛正され平等な分配が行われるとしよう。その場合、もはや市場は必要ではなくなる。プレイヤーの持ち物がほとんど同じだから。欲しいものがあるとすればそれは「舶来品」で、買うためには外貨が必要となる。そして国際競争力ある商品がなければ、外貨獲得の手段はこれまた不正蓄財、ということになってしまう。

 誰だって損はしたくない。市場による売買は双方の得になっているハズで、おのおのの効用を増大させている、だから社会全体の効用も増大するハズだ…。市場は財の適正な配分をもたらす、かのようにみえる。が、誰がどれだけ所有すべきか、については何も語らない。「だれもがケーキをより多く望むとすれば、どのようなケーキの配分もパレート最適である」。市場ゲームの初期配置を決定するのは無意識的な「原蓄過程」であるほかなく、意識的な市場開放はゲームの開始をいたずらに遅延させ、遅延は、混乱を生み、生活そのものを破壊していく。

のび太くんとはちがい、泳ぎ出すのは監視員も救助係もいるプールではなく、「新自由主義経済」という荒海なのだ。ーいったい誰が、責任を取れるのか?いな、無責任であるからこそ、「市場」なのだ。

 「北朝鮮」の抱えている難題は、市場経済が抱える難題でもある、のではないでしょう?。

(ややピント外れな「市場経済」問題についてばかり書きましたが、『リムジンガン』は後継車問題、核問題、脱北車問題、さまざまな市民の声…etcさまざまな問題をとりあげております)。

129770.jpg◆季刊 リムジンガン 日本語版 第3号[2009年春号]

[2009年2月/A5/220頁/¥2,838+142] 責任編集=石丸次郎 発行=アジアプレス・インターナショナル出版部




















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◆季刊 リムジンガン 日本語版 第2号[2008年夏号]
[2008年8月/A5/200頁/¥2,838+142] 特集=北朝鮮不動産取引の怪 ほか 編集・監訳=石丸次郎 発行=アジアプレス・インターナショナル出版部
















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◆季刊 リムジンガン 日本語版 創刊号[2008年春号]
[2008年4月/A5/247頁/¥2,838+142] 特集=ミサイルと核騒動 北の民衆はどう見たか ほか 編集・監訳=石丸次郎 発行=アジアプレス・インターナショナル出版部

チケット取扱中!!

090724.jpg「傑・力・珍・怪 映画祭」(渋谷・アップリンクにて8/8〜9/4まで)※公式サイトはこちら
模索舎にて1000円で販売しております。

※模索舎では映画上映会、演劇、ライブ等のチケット委託販売もいたします。
また、チラシ、ポスター等もお気軽にお持ち寄り下さい。





入荷!感想!告知!宣伝!

安倍慎一『美代子阿佐ケ谷気分』入荷しました。
うち5冊は安倍氏のサイン付きです。達筆。


 自分の70年初頭の中央線沿線での同棲のイメージは、まさに『美代子阿佐ケ谷気分』表題作とその他の数ある短編を取り巻く空気感で形成されていることに気づいた。それはそれで見事だと思う。けれど当時を知らない私にはその時代感が邪魔をして、つまり全てが時代の空気に収斂されてしまうことにもどかしさを感じることがままあった。で、『美代子〜』の親しむ点は、そんな「時代」の引力に引き寄せられてたゆたう作者の美代子への愛だ。「私は彼女を書きたいためにストーリーを作った」とチラシに載っている安倍氏の言葉。やるせなさ、焦燥、挫折、絶望というキーワードは当時の時代を象徴しているかもしれないし、若さを象徴してもいる。けどこの安倍氏の衝動は、同じ時間を生きる美代子への、「時代」に還元しきれない愛だ、と私は思う。きっと阿佐ケ谷じゃなくても美代子〜気分で、何かの作品を描いたんじゃないかと思うのだ。
だからといって阿佐ケ谷であることに反発しているのでもなくて、そのさじ加減がまさに美代子の「気分」とぴったりである。実際、自分のことをミヨちゃんと呼ぶ美代子が非常にかわいい。びろーん、とか、眠たー、とか、でも殺す他ないわね、って電灯の光で白く飛んだギターを抱えた黒い影が、安倍氏の見る美代子だ。これぞ私的漫画。

その他、友人の故郷を訪ねた「軍刀」という話の、会話と風景のコマの配分がかっこいい。
作画に自信がない、と言っている記事をよんだことがあったのだけど、登場人物の表情がものすごいと思う。たまに怖い。あと、はっぴいえんどの頃の細野晴臣にそっくりな人物が出てきた。

ちなみに、現在シアター・イメージフォーラムで坪田義史監督で映画化されていますので、そちらも併せて体験できるという贅沢な期間です。原作から入るもよし、映画を観てから漫画読むもよし。よい機会になさっていただければと思います。私は映画未見ですので、近々イメージフォーラムへ参るつもりです。



さて、映画上映の告知をひとつ。

090724.jpg渋谷・アップリンクにて8/8〜9/4まで「傑・力・珍・怪 映画祭」が催されます。このタイトル、大傑作!超力作!珍笑作!凶怪作!が勢揃いしたところから来ているんですね。

5月の先行上映に行ったのですが、とても楽しくて大興奮したので皆さまもぜひ観て下さい。

また連日上映の3作に加えて、日替わりゲスト作品もあります。その中の『二度と目覚めぬ子守唄』は、過去に観たことがあるのですが、かなりの衝撃でした。呪われた運命の少年「出っ歯」が地割れを起こす!!いじめっ子たちに「出っ歯〜」「出っ歯〜」とからかわれるシーンはああ!!って脳内から普段出ない成分が分泌された気がしました。実に暗いアニメですがその暗さが突き抜けてます。また観たい!!そして『地獄に堕ちたシェイクスピア』、響き渡る数々の劇中歌にだんだんわけがわからなくなってくる好作品です。
盛夏にぴったりの映画祭です。ぜひ足をお運び下さい。


上映作作品、スケジュールについてはこちらのサイトでご確認下さい。




そして、ライブのお知らせ。

8/8・9に吉祥寺・スターパインズカフェにて『大地底祭 渋さ知らズ結成20周年記念ライブ!!』

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以下、詳細です。

【8月8日】
■出演:LOSS LOHAS(Cosmopolitan Cowboys) /山口コーイチトリオ / リマタンゴ / 林栄一カルテット/渋さ知らズオーケストラ / 他
■open/start:16:30/17:00
■料金:¥3,500/¥4,000+1drink
※2日間LIVE通し券:¥6,000+各日1drink(SPC店頭のみ取り扱い)
【8月8日・NITE】
■DJ:ヒゴヒロシ / スペースドバー /大塚寛之グループ / 天幕映画 / 他
■open&start:23:00¥2,500+1drink SPC/ SPCHP予約
※8日LIVE&NITE通し券:¥5,000+各回1drink

【8月9日】
■出演:ガクッとカフェ(舞踏グループ) / 片山広明'sTOKYOスリム/ブラックシープ / 東京中低域 / 大熊亘&シカラムータ /渋さ知らズオーケストラ / 他
■open/start:13:30/14:00
■料金:¥3,500/¥4,000+1drink SPC/ SPCHP予約
※2日間LIVE通し券:¥6,000+各日1drink(SPC店頭のみ取り扱い)


皆さま、それぞれの夏をお楽しみ下さい。




ウメウメ書評ー横光利一と装丁

暑い。ウメウメに書評でも。


工業生産された機械と、横光の小説『機械』の両方が重層的に示す意味を図表表現しようとする意識が、創元社版『機械』での創作文字という表現方法を探らせたのではないかと思う。・・・つまりこの題字は内容としては完全に文章の延長上にあり、横光の表現の一部なのである。
(『本の手帳 6号』p15より)


  「ビニール」版満載のカートを傍らに、4枚/秒のスピードでつまみ上げ、時に止まり、低くうなり声を上げ(この間0.5秒!)、再びもとの作業に戻ってゆく。レコード盤 をプレスする機械さながらの律儀さである。「複製技術時代」においては人もまた「複製」だ。店内そこかしこに複製された「私」がいる・・・。

けだし、人は機械になりきれるものではない。「〜レーベルの〜番台」という無味乾燥なシリアル番号だけに欲情していられますか?え?・・・そ、そりゃまあ「完璧な計算で造られた楽園で ひとつだけ うそじゃない 愛してる」(by Perfume)があればそれにこしたことはないし・・・、できれば複製技術(クローン)で生まれた美少女(綾波レイとか)に「私が守るから」とか言われたら悪い気はしないよね・・・、というか、頼むから言ってくれよ!?な!?・・・が、悲しいかな、現実世界は散文で出来ている。「すべて高貴なものは、稀であるとともに困難である」(by スピノザ)のだ。

 なので、「人間の証明」のためにも?ときには「『ジャケ買い』しちゃったんだけど・・・」、と自嘲と自己愛の入り混じった複合的な微笑を口元にたたえつつ、独り言なのか話しかけているのか俄には判別しがたい乾燥した機械的な口調でつぶやいたりしなければ生きていかれない(れ足す言葉)のだ。それで「家に帰ったら同じのが3枚あったりする」となおのこと人間臭い。それを「腐臭」である、と嗤うそこのあなた!ーあなたこそ、永遠の今を生き続ける「複製」ではないのか?もう一度言う。「ジャケ買い」は「複製技術時代」における「人間の証明」、なのだ!

 ・・・とか横光利一が考えていたかどうかは知らない。が、横光利一は装丁にかなり興味を持っていたらしい(『本の手帳 6号』p6)。「未来派」や「構成主義」など当時のヨーロッパ前衛芸術運動に影響を受けている横光は、『機械』の装丁を佐野繁次郎託した。佐野繁次郎自身もかなり横光から影響を受けていたらしい。横光が死去した1947年以降、佐野の作風はがらりと変わったのだそうです、はい。

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●本の手帳 6号
[2009年3月/A5/64頁/¥1,000+50] 特集=本好きが語る本の蘊蓄詰め合わせ 発行=本の手帳社























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◆佐野繁次郎装幀集成 ――西村コレクションを中心にして
[2008年11月/B5/112頁/¥2,200+110] 編・著=西村義孝 構成=林哲夫 発行=みずのわ出版

ウメウメ書評ーー「その時、歴史が動いた?」

ウメウメに書評でも。


・・・アウシュヴィッツ起こったことについての説得的な虚構的描写を制作するよりも、アウシュヴィッツのドキュメンタリー作品を観るほうが楽なのは、なぜだろう?ここではアドルノを匡さなければならない。アウシュヴィッツ以後に不可能になったのは詩ではない。むしろ散文が不可能になったのだ。ドキュメンタリーの写実主義は、したがって、虚構に耐えることができなくなった人びとのためにこそある。(『ロベスピエール/毛沢東 ――革命とテロル』 著=スラヴォイ・ジジェク)
 
 実のところ、「髪切ったぁ〜?」と、タモリはそんなには言っていないのである。が、コージー冨田のモノマネ以来、「髪切ったぁ〜?」「痩せたぁ〜?」と、心ないトークをルーチンでこなしているタモリ以外、もはや考えられなくなってしまった。かつてアングラで先鋭的な芸風であったはずのタモリは魂を売り渡し、「アルタスタジオに住んでいる」かと錯覚させるほど日常生活にとけ込んでいる安全な芸人に成り下ってしまった- 「髪切ったぁ〜?」「痩せたぁ〜?」はそんなタモリを批判しているかのようにさえ思える。巧妙なモノマネは批評機能をもつのだ。


 文体模倣の名手、清水義範氏が司馬遼太郎文体で「猿蟹合戦」を描いた『猿蟹合戦とは何か』(『猿蟹合戦とは何か ――清水義範パスティーシュ100 一の巻』収録)は、本家の文体そのもの以上にその文体の特質を際立たせる。

ここで奇妙なものが登場する。
うしのくそ、
である。

 この改行がキモである。読者は、「うしのくそ」でコンマ何秒か読書の速度を止める。モーニング娘。における「。」がそうであるように。わざわざ改行し、読者を「うしのくそ」に注視させる親切さ。

 これはどこかで見たおぼえがある。読んだ、でなく、見た、のである。そう、テレビで見ているのである。司馬遼太郎の文体は、「その時、歴史が動いた」とか「プロジェクトX」とかの娯楽ドキュメント番組の構成に酷似している、というより、娯楽ドキュメント番組を司馬遼太郎が先取りしていたのである。

「その時歴史が動いた」バージョンの 「猿蟹合戦」を想像してみよう。松平アナ(キックのことは忘れよう!)-「ここで奇妙なものが登場します」、やや間があり、「うしのくそ、であります」という松平アナのナレーションとともに画面が切り替わり、「うしのくそ」がテロップ付きで映し出される。

 司馬遼太郎文体で特徴的なのは、時々、というか、かなり頻繁にうんちく語りが挿入されることである。『猿蟹合戦は何か』でも、

佐渡、
というところについて考えようとすると

という具合に突然うんちくをながながと語り始め、

が、これは余談である。

と独りよがりに終わらせてしまうくだりがある。余談かよ、と突っ込みたくもなる。
「その時、歴史が動いた」とかだと、再現映像のあいまにゲストの解説があるのだが、その部分に相当するだろう。
 「再現フィルム→語り」連鎖方式のバラエティだと「それでは映像をどうぞ!」でCMに行き、CM開けでまたもや「それでは映像をどうぞ!」が繰り返される。「民放の宿命」(by久米宏)なので仕方ないのかもしれないが、正直ウザイ。司馬遼太郎の『翔ぶが如く』なんかは新聞連載だったらしく、まとまった単行本で読むと章の変わり目の重複がひどく、正直ウザイ。こういうウザさこそがまさに司馬遼太郎の先駆性を示しているのではないでしょうか?

  柄谷行人が指摘するように、初期司馬遼太郎の歴史観なり視点は、坂口安吾の亜流にすぎない。司馬遼太郎が「戦後」を代表する作家たらしめているのは、戦後的「ねじれ」を体現するこの「文体」にこそあるのではないか?司馬遼太郎文体は、「物語」と「ドキュメンタリー」、「虚構」と「現実」の「あいだ」をすり抜ける。虚構を構築するわけでもなく、現実を受け入れるわけでもない。

  戦後的「ねじれ」知る上で司馬遼太郎の「龍馬がゆく」は必読文献である。が、未読である。正確にいうと読み始めて挫折した。竜馬がカッコよく描かれすぎて鼻白らむ、武田鉄矢の竜馬コスプレ(竜馬なのに博多弁!)がちらついて集中できない、などが主な理由であると思われるが、読むのが苦痛であった。

 なので、『龍馬がゆく』を読まずに批評する。

 『竜馬がゆく』の連載は1962〜66 年である。60年安保という「政治の季節」が終わり、代わって登場した「所得倍増」の池田〜「長期安定政権」佐藤内閣の時代だ。「薩長同盟」「海援隊」という竜馬の事蹟は、そのまま「米ソ冷戦」「貿易立国」を象徴している。「大政奉還」と「竜馬暗殺」が示しているのは「岸内閣退陣」と「安保闘争の敗北」であろう。

 だから竜馬の「夢」はそのまま「戦後日本」の「夢」なのである。ここでいう「夢」とは果たしえなかった「理想」という意味ではなく、「自己正当化」としての夢、もっというと、「虚言症」という意味での「夢」なのである。つまり日本は戦争に勝つつもりでいたのに敗れた、のであるが、敗けてよかった、かのように振る舞うこと、ついこの間まで植民地帝国であったくせに、「侘しく悲しい」「島国」が小舟で世界の荒波に船出するかのようなナルシズムに浸ること、「米ソ冷戦」を巧みに利用しながら独立をかち取り、そのうえ米国の軍事力を利用しながら経済発展に専念する道を合理的判断の上で主体的に選択したような振りをすること、我々は十分に闘った、岸内閣を倒した、それで十分じゃないか、と自らを慰め、生活から政治を変革する(「国民」は「春」「闘う」のだ!」)、という居直りを正当化すること-など、である。これはそのまま「自民党保守本流」「55年体制」の論理である、というよりそれを支えた「国民」の意識なのだ。 
 
 竜馬の英雄化(『竜馬がゆく』以前はそれほどメジャーでなかったらしい)とは、同時に西郷の否認、「革命」と「侵略」の象徴である西郷の抹殺なのだ。「西南戦争」は革命のやり直しであり、西郷の敗北とともに「御維新」は「反革命の時代」へと移行した。「55年体制」から「60年安保」いたる政治的変動もまた「革命のやり直し」であった。「左翼」にとってはGHQによる「上からの革命」のやり直しとして、「右翼」にとっては「自主憲法制定」として。「55年体制」は、自民党は「過半数はとれるけど、3分の2はとれない」、つまり、政権与党ではあり続けるけれども、憲法改正に必要な3分の2はとれない、という絶妙なバランスのうえに成り立っている。「改正条項も含めて護憲派だわな」という故・竹下登の名言がそれを象徴しているだ。「60年安保」の限定的勝利は「大衆的実力行動」を神話化してしまい、「社民」政党への現実的転換を遅らせてしまった、ともいえる。信じてもいない「暴力革命」の看板を下ろせないのだ。自民党は自民党で党是であるはずの「憲法改正」を論じられなくなってしまったのと同様に。

 「永続」に「革命」し続ける西郷と、船に乗って「逃走」する竜馬-。しかし、革靴を履いた竜馬の懐手にある拳銃は、ついに上野の西郷どんに向けられる-そして竜馬が「ぜよ!」と叫んで発砲し、西郷どんは「ごわす!」と呻き、そして、どう、と倒れる-

こんな「虚構的描写」を、司馬遼太郎は、けっしてしない。

(模索舎月報07年2月号の文章を大幅に加筆・修正したものです)。

 

ジジェク.jpg◆ロベスピエール/毛沢東 ――革命とテロル
[2008年5月/文庫/326頁/¥1,200+60] 《河出文庫 シ 6-1》 著=スラヴォイ・ジジェク 訳=長原豊/松本潤一郎 発行=河出書房新社

文庫オリジナル/目次:I 毛沢東---無秩序のマルクス主義的君主/II バティウ---世界の論理/III ロベスピエール---恐怖という「神的暴力」/IV バートルビー(1.グローバル金融の竹篦返し---《スター・ウォーズ》IIIの陥穽/2.しないことが好き---バートルビーの政治)/V 非常事態/ ほか













アドルノ.jpg
◆プリズメン ――文化批判と社会
[1996年2月/文庫/511頁/¥1,350+68] 《ちくま学芸文庫 ア-11-1》 著=T.W.アドルノ 訳=渡辺祐邦・三原弟平 発行=筑摩書房

アドルノの最初の自撰論集、完全新訳。プリズメン――さまざまなプリズムとは、未来からの微弱な光を感じとる鋭敏な精神の探査器を暗示するのか。「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という命題を含む「文化批判と社会」に始まり、シェーンベルク、ベンヤミン、カフカへと深まる12のエッセイ。












さるかに.jpg
◆猿蟹合戦とは何か ――清水義範パスティーシュ100 一の巻
[2008年12月/文庫/432頁/¥950+48] 《ちくま文庫 し-33-1》 著=清水義範 発行=筑摩書房

文体模倣の大模倣――著者自身が厳選したパスティーシュ100作品を6冊で刊行。表題作の他「猿取佐助」「パウダー・スノー」「笠地蔵峠」「女殺油地獄」「ティンカー・ベルの日記」など文体模倣の17作。自著解説付。

営業時間変更のお知らせ

イベント-『1970年代以降のオルタナティブ運動』
のため、7月14日は19:30までの営業とさせて頂きます。ご了承下さい。

1968〜全共闘からその後

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1968年から40年ー。

 世界史的?時代区分から言えば「1968年」は一つのメルクマールであり、「2008年世界恐慌」においてあらたな時代に突入した、とも言える、のか?もっとも、「2008年世界恐慌」は「コロンブスの1942」以来の地殻変動、いな、千年スパンで考えてらっしゃる識者もおられるようです。
 そういった時代区分はさておいてー。「貧困」「格差社会」と呼ばれて久しい昨今のご時世、あらためて「1968」が問いなおされるべき時代なのではないでしょうか?
そういうわけで、「1968〜全共闘からその後」というコーナーを設けました。下のブックリストの他にも、『図書新聞』(好評企画「60年代・70年代を検証する」掲載号-柄谷行人/秋田明大/知花昌一/和光晴生/etc-)ほか、取り揃えております。
 お役に立てれば幸いです、はい。

月報0906.jpg月をまたいでの発行になってしまい申し訳ございませんが、 模索舎月報6月号を発行しました。 第一特集は金井勝さんインタビュー、第二特集はRLLTシャツです。
7月号は月内に発行できるよう努力いたしますので
宜しくお願い致します。

出演者変更のお知らせ

模索舎イベント『1970年代以降のオルタナティブ運動』

に出演予定だった藤田五郎:(山谷労働者会館活動委員会)さんが都合により出演できなくなりました。急遽代わりの出演者を模索中です。

webをリニューアルしました。

素人の作成なので、何かと不備があるとは思いますが、ご容赦を。ie6とかだと読み込みが悪かったり、ずれていたりしますが、そこはご愛嬌、ということにしておいてください。しばらくはチマチマと手入れしていくと思います。

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