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南風に乗ってやってくる弔鐘の音



 私は南方から北上する高鉄(台湾の新幹線の意)の中で<南風>を読み終えた。列車がその速度を上げて山のトンネルを一つまた一つと走り抜けて行く中で、光と影はめまぐるしく眼の前の世界を変えていく。まるで頭の中に一枚また一枚とモノクロ写真が浮かび上がるように。

<南風>はフォトジャーナリズムとリテラル・ジャーナリズムを結合させた本だ。本の中の<南風>は歴史であり、また現実であり、そして直喩であり、また隠喩でもある。以前は「堤防の上を優しく南風が吹き抜ける時、生きていく上での「不明」も良しとなり、苦難や悲しみにも慰めが与えられた。これは百姓となる運命にあると考えたくもない我々に対するお天道様のご芳情なのである。」と言えたが、今は「南風が吹いた時のにおいは強烈だ。六軽がもし夜にこっそりとおならをしたとしていたとしたら、その音はジェット機と同じほどの大音量となる。」わけだ。

台湾は長くフォトジャーナリズム(ドキュメンタリー)の伝統を有していた。この伝統は1960~70年代に端を発し、80~90年代の雑誌<人間>を集大成とした。<南風>の作者である鐘聖雄は34歳と若く、彼は「今に至るまで、まだ<人間>を読む機会が無かった。」としているものの、「そこで、私は彼(<南風>のもう一人の作者である許震唐)にうそをついた。今回のフォトジャーナリズムの機会を生かし、<人間>のスタイルが重視されるようにしたい、と。」とも言っている。もっとも、彼のスタイルは、撮ったものや書いたものには関わらず、時に暗く、また明るくなるお線香の明かりにも似た、<人間>が灯した火の延長線上にあることに全く疑問の余地が無いのである。

ドキュメンタリーのスタイルという点で言えば、鐘聖雄は少しユージン・スミスにも似ている。許震唐は少しロベール・ブレッソンに近い雰囲気がする。ただ、たとえ彼らのスタイルに多少の違いがあろうとも彼らのレンズは全く同じ方向にフォーカスを当てているのだ。彰化県大城?台西村。彼らのドキュメンタリーの叙述も同じテーマを有している。六軽から6キロメートルの距離で、ただ一本の川で隔てられているだけのこの村落が、どのように六軽の398本もの煙突の害を受けるか、という物語である。

台西村は全くの田舎とも言える小さな村で、居住している人口もおよそ400人余り。「以前は冬になるや、台西村のほとんどの人が海に行ってウナギの稚魚を獲っていた。夜になれば濁水溪の河口もまるで夜市(ナイト・マーケットの意)のようににぎやかだった。」、「以前は一晩に何万匹と獲って帰るのが普通だった。」、しかし今では、「二百匹以上獲って帰ったことは一度として無い」とのこと。

以前、台西村民である康青裕は魚も獲り、稲も植え、スイカまで育てていた。しかし今では毎年南風がもたらす雨水の酸性度が高くなってしまい、「六ー0番のスイカを消失せしめる」こととなった。康青裕は今ではスイカも育てず、野菜も植えていない。生命力逞しいサツマイモへと乗り換えてしまったのだ。また、もう一人の村民である許萬順の身に降り掛かってきたことも同じで、「六軽が来てからというもの、冬のスイカは全て『狂って』しまったんだ。花は咲けども実を結んでくれない。」そしてもう一人、魏文考という村民も「以前、濁水渓の河口は引き潮の時となれば、大きめのはまぐりやカニが数多く獲れ、海でも虱目魚(サバヒーという魚)の稚魚、雷魚の稚魚、エノコログサ、サバなどが獲れていた。でも今はこういった魚も死ぬものは死に、傷つくものは傷ついてしまった。まだ消えてなくなってしまわないなんて、笑うしか無いよ」と嘆いている。

稚魚が見つからない、スイカが育てられない、はまぐりが拾えない。台西村は貧しい村へと変わってしまった。しかし、もっと危機的であったのは、南風が吹き抜けるこの村が、お金を稼ぐことが出来ないばかりか、許萬順の言うように、「我々百姓は、結局何が得られるというのか?結局、自分の身体に病気が得られるだけではないか。」となったことだ。彼らは自分、あるいは近しい人が各種の疾病を患ったというのも、全て六キロメートル先の398本の煙突が元凶であると信じていた。「南風が吹き付けて来て、雨も涙のように落ちて来る。自然の恵みを与えてくれていた母なるこの港湾も、寂しげなお墓になってしまった。」と嘆くのは鐘聖雄。許萬順も「このままだと、二十年以内に廃村になってしまう」と訴えている。

「写真でもし告発するなら、まずは人々を恐れおののかせなければいけない。」Susan Sontagのこの言葉は<南風>の中で証明されている。鐘聖雄のレンズが収めた「南風の中の肖像」シリーズは、実のところ殆ど全てが遺影である。膀胱ガンを患って亡くなった洪桂香、口腔ガンを患って自殺した李文羌、肺ガンを患って亡くなった許戸、許星、肺腺ガンを患って亡くなった許呉好、肺ガンを患って亡くなった康有智、肺ガンを患って亡くなった蘇尾、胆管ガンを患って亡くなった康?、肝臓ガンを患って亡くなった康武雄、康清萬兄弟、肺腺ガンを患って亡くなった唐殿、肺腺ガンを患って亡くなった許著、肺腺ガンを患って亡くなった黄梅、大腸ガンとリンパ腺ガンを患った洪順士、肺腺ガンを患って亡くなった曾玉麗、肺ガンを患って亡くなった康保現、口腔ガンを患い、それが肺腺へと転移して亡くなったって許世賢。これらの人、名前は、最後には近しい人の手の中の、あるいは壁にかけられた一枚一枚のモノクロの遺影となった。彼らは皆、南風の吹き付ける中で一人また一人とお墓に入っていったのだ。

人を恐れおののけさせるフォト・ジャーナリズム、リテラル・ジャーナリズムは、現実(reality)だけではなく存在(existence)をも記録している。<南風>が記録しているものは、台西村の存在なのである。そしてより重要なのは、鐘聖雄と許震唐がレンズを通して再現しているのが「証拠」だけでなく、「誘い」である点だ。彼ら、忘れ去られた、あるいは無視された小さな村落の人々を誘っているのだ。「一緒に南風の中で立ってみようよ。」と。

「孤島である人はいない。弔いの鐘が誰のためのものかなんて聞かないで下さい。それはあなたのために響いているのだから。」<南風>を読み終え、高鉄の座席に飲み込まれるように座り込んだ時、突然ジョン・ダンのこの言葉を思い出した。「権勢を振るう人たちは勿論南風のにおいなど嗅いだこともないし、もちろん南風に乗ってやってくる弔いの鐘の音も聞こえないのだ。」しかし、台西村の物語は、まさか本当に彼らと何らの関連も無い孤島の物語たりえるのだろうか?

ひとつの映像はひとつの誘いである。権勢をふるう人たちの中で、<南風>のお誘いを受けようと思うのは誰だろうか?

王健壯
台湾大学歴史系卒業後、聯合報の定期アメリカのヴァージニア大学を訪れ、研究を進める。かつて、「新新聞周刊」の編集長、社長、中国時報の編集長、社長を歴任。現在は世新大学における客員教授として、聯合報に定期的にコラムを掲載している。著書には、「私はカエサルを愛していない(我不愛凱撒)」、「カエサルは私を愛していない(凱撒不愛我)」、「移ろう時を変わらず見つめる(看花猶是去年人)」、「私は彼を、おじいちゃんと呼んでいる(我叫他,爺爺)」などの書籍がある。

※ (文章は「天下雑誌」の評論コラムに掲載されたもの) 王健壯(熊谷将太 譯)

 



〈写真集〉南風

[2013年7月/B5変形/196頁/¥3,000] 著=鐘聖雄/許震唐 発行=衛城出版(台湾)

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