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『遠い夜』刊行によせて



こんにちは。元店員の鹿島です。
この度、2010年・2011年に模索舎で行なった工藤冬里さんのライブを、詩集付きCDRとしてまとめました。
私が工藤冬里を知ったのは学生のときに聴いたBill Wells & Maher Shalal Hash Bazの『Osaka Bridge』が初めだったと思います。歌う工藤さんをちゃんと観たのは、模索舎で最初に演ったライブ「すべての読書は道場破りである」でした。その日の夜、「外はおまつり、一年中おまつり、外はローマ、昔も今も」と工藤さんが歌った『ローマ帝国衰亡史』の一節を、興奮しながら友人に伝えたことを覚えています。後ほどその音源は、工藤さんと牧野さんという二人でやっていたレーベル dependent direct sales と模索舎との共作としてCDR化しました。今回発行する「遠い夜」の前半は、「すべての読書〜」CDR発売記念でのライブの収録、というわけです。

誰にも定期的に思い返すトピックというものがあると思います。私も、工藤さんや牧野さんや、その周囲の人達の間で見聞きしたものを何度も脈絡なく思い返し、その部分だけを取り出して解読しようとし、その度にそうかと納得しています。「売れなくてもいい、というのが大嫌い」「先の先の先があります」。当人の言いたかったこととはすでに別ものになっているかもしれません。ただひとつ、どう考えてもあれは、ものすごく贅沢な月日でした。

「遠い夜」は詩の朗読と歌唱の中間のような内容です。工藤さんは認知新聞に載せていた詩を、走るように読みあげました。

それらしくなってきた断層の
それどころではなくなってきた 鼻血の市場
山の 寿司屋
命の川の 眉毛の本部のような 悔悟が
調べるための問題を出すだけだ

三十年 わたしたちは待った
三十年で わたしたちは振り分けられた

働きながら休んでいる
休みながら働いている

(「休日出勤」一部抜粋)

私、後半2行は「働かざるもの食うべからず」へのアンチテーゼなのかなと思い、感激していました。でも、鼻血の市場って何?三十年とは何の単位?山の寿司屋ってなにか笑えてくる。工藤さんの詩は、意味の掴めない異物の表現と告白のような表現が同位置に並列されているような感じがします。だから「働きながら休んでいる 休みながら働いている」だって、その部分だけに共感して感傷に浸るのは片側しか見ていないんじゃないか。そういう居心地の悪さがあると思っています。そういう言葉とその言葉の持つイメージとの遠近の移動が、読んでも面白く、聴いても音なりに速度や抑揚でその距離を測っているようで面白いです。
例えば、同じ座右の銘を持つ2人がいて、1人は死ぬまで一度も口に出すことなく、1人は墓石に彫りつけた。その2人をひとつにしたのが私にとっての工藤さんの詩です。でももしかしたら本というものはすべてそういうものなのかもしれない。皆さんはどう思いますか。
とりあえず、こうしてひとつの形にできたことに、小さな喜びを感じています。

 


〈CD〉工藤冬里/遠い夜 〈詩集付き〉

工藤冬里さんが2010年と2011年に模索舎で行った2回のライブの、CDR音源とテキスト全65詩を収録。

[A5/¥1,500] 発行=机と枕

 ※CD付き

 



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