模索舎WEB月報
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※タイトルを「あまロスとはなにか?」とかにしようかと思っていたのですが、止めました。  

 

 映画『リアル〜完全なる首長竜の日』は、原作と違って主人公・浩市の父親が関わったある島のリゾート開発が少しばかりストーリーに関わっております。で、浩市の脳内イメージに廃墟と化したリゾート地の映像が出てくる。浩市は成人してから島には戻っていないはずなので、廃墟の映像は浩市の無意識下における罪悪感なのであろう。「センシング」という技術で浩市の脳内に入り込んだ恋人の淳美が「これはあなたのつくり出したイメージだからぬけだせるはずだ」とかなんとか言ったりするのだが、一部熱狂的な信者を持つ(ことになっている?)黒沢清のことだから、このシーンは「フクシマ」を忘却することへの批評-今現在、「フクシマ」を無視して廃墟を語れるのか?-が込められている、のかとも思ったりしたのですが、そんなこともなかったようです。

 子どもだった彼に何の責任があろう!誰が被害者で誰が加害者なのか?この「廃墟」に誰が責任を取るべきなのか?そもそも責任とれんのか?-精神分析的言うと罪悪感は超自我の課す「法」に反する欲望が無意識下において抑圧されていることのあらわれである、そうな。超自我の求める責任は無限である。永遠に処罰を与えるサディストである。もううんざりだ!-いつまで謝りつづけなければいけないのか!?-

そうなのだ、見なければ良いのだ。なかったことにすること、あるいは「つわものどもがゆめのあと」といった日本的?「もののあはれ」に逃避すること、もっといえば「廃墟」を再発見し、「萌える」こと-精神分析的に言うと「抑圧」ではなく「否認」という機制-「法」から「フェティシズム」へ、「サディズム」ではなく「マゾヒズム」へ?

戦争責任?そんなのは「文学的」な問題だ!メカと美少女に萌えよ!一見現実逃避的かつ自閉的に見えつつ、実は「大人」の振る舞いであり、ひいては「クール」で「ジャパン」なコンテンツを生み出し、むしろワールドワイドなのだ!これこそが「国益」であり「愛国心」なのだ!

 というのが現在の(ことに3.11以降の)情況であるように思えてならないのですが、いかが?(ひ。)

 

 

HAPAX VOL.1

〈抜粋〉

精神科に通院している知人が、面接をした医師に「もう放射能は怖くなくなりましたか」と聞かれた。まぜっかえすようないたずら心がわきあがり、とっさに「先生、直りますか」と聞き返すと、医師は真面目な顏で「治療すればよくなりますよ」とこたえたという。

予示的政治とは「こうあってほしい世界」を想定し、あたかもあたかもそのときが来たかのようにふるまうことで、運動のもつ可能性を照らしだす技芸だ。

…予示的政治とは、本来的には喜びの感情を増大させるようなアイデアであったはずのものだが、最近は、資本によっても哀しみの否認のために使われているのではないかと考えるようになった。いま、ここで、放射能汚染などなかったかのようにふるまってみよう。あるいは、想像してごらん、福島第一原発事故がなかった世界を…。(P13)

[2013年9月/四六判/160頁/¥1,000+50] 編=HAPAX 発行=夜光社

 

 

風景の死滅 増補新版

〈抜粋〉

…ゆえに風景論は、反動的な映画論、文学論、都市論、あるいは政治論による不毛な風景論争によって、さらには、「風景の発見」を促す旧国鉄のディスカバー・ジャパンなどの資本主義的な攻勢によって、その可能性を簒奪されてしまうこととなる。(P338)

 

[2013年11月/四六H/344頁/¥3,200+160] 《 革命のアルケオロジー2》 著=松田 政男 解説=平沢 剛 発行=航思社

 

 

 

八画文化会館vol.3

〈抜粋〉

石川 廃墟ですね、時代は

酒井 2年前(2011年)は「終末観光ですね、時代は」って、言ってたんですけどね。

石川 パッと見廃墟みたいなのにギリ生きてる観光スポットを、終末観光と呼んで楽しんできましたけど、そういう所ばっか行ってると、逆に廃墟ってすごいんじゃないかと思いまして。

酒井 廃墟は面白いよ。面白いと言えるだけのイイ物件がなかなか見つからないだけで。

石川 そうですね。

酒井 終末観光ってもっと大きい視点で考えると「時代や土地から見放されてしまった場所が、今の時代のニーズと完全にズレはじめたときに、不思議な魅力を発する場所」っていうことだけど、それってさ…。

石川 廃墟が一番当てはまりますもんね。

(P30)
 

[2013年8月/A4変形/113頁/¥1,500] 特集=終末観光の切り札 廃墟の秘密 発行=八画出版部

 

 

 

福島第一原発観光地化計画

 〈抜粋〉

ダークツーリズムとは、1990年代に現れた概念で広島やアウシュヴィッツなど、戦争や災害など悲劇の地を対象とする新しいスタイルの観光を意味しています。修学旅行で広島や沖縄を訪問することが一般化している日本は、じつはダークツーリズムの先進国です。本計画の支柱となっているのは、このダークツーリズムの考え方でもあります。P14

観光地化とは、活動家やジャーナリストだけではなく、また研究社や官僚や政治家だけでなく、無知で偏見に満ちた観光客を含め、あらゆる人びとの視線と関心を無条件に受け入れることを意味します。だからそれは絶対的な情報公開でもあります。P20

[2013年11月/B5/191頁/¥1,800+90] 《思想地図β vol.4-2》 発行=株式会社ゲンロン

 

情況 2013年6月 別冊 「思想理論編」2号

〈抜粋〉

現実そのものをテーマパーク化してしまい、それを「現実」にしてしまえば直面する現実そのものが「擬似日本」に等しいものとなる。「虚構」が続かなくなったから「現実」を見ると言いながら、彼(=東浩紀※筆者注)が見ようとする現実は、一度その上に虚構的な現実を覆い被せてしまったような現実でしかないのである。-『ゼロ年代批評の政治旋回』藤田直哉 P99

[2013年7月/A5/238頁/¥2,000+100] 特集=現代政治経済(学)批判 発行=情況出版



なぜ、いまヘイト・スピーチなのか 差別、暴力、脅迫、迫害

 

[2013年11月/A5/219頁/¥1,400+70] 著=前田朗 発行=三一書房

 



映画芸術 445 特集・国民的映画『風立ちぬ』大批判!

 

[2013年10月/B5/160頁/¥1,500]  発行=編集プロダクション映芸

 

動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学

 

『動きすぎてはいけない』はいいタイトルだ。

現代は接続過剰である。課題は、いかに繋がるかだけでなく、いかに切断するか、でもある。ドゥルーズ(と浅田彰、東浩紀)を参照しつつ、接続/切断の思想をさぐる。ツイッター、SNSなど、繋がり過ぎに疲れた方は是非!

〈抜粋〉

20世紀末の多くのポストモダン論では 、非意味的接続の奨励-貨幣的ではなく文化的な-を主としており、非意味的接続の過剰による文化的窒息に対する非意味的切断は、二次的テーマでしかなかった。21世紀のグローバルなネットワーク社会に入って、非意味的切断は焦眉のテーマとなる。(P35)

[2013年10月/四六判/369頁/¥2,500+125] 著=千葉雅也 発行=河出書房新社

 

自我論集

 「抑圧-法-サディズム-主体-服従」「否認-フェティシズム-マゾヒズム-多形倒錯-自由」という問題設定はニューアカ以降お馴染みであります。とは申せ、『快感原則の彼岸』などは何度読んでも謎であり、示唆に富む。古典の古典たるゆえん?

[1996年6月/文庫/360頁/¥1,200+60] 《ちくま学芸文庫》 著=ジークムント・フロイト 訳=中山元 解説=竹田青嗣 発行=筑摩書房

 



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