そもそものはじまりは葬式である。この五年の間やたらと身内が死んでしまい、葬式だ、法事だと日本縦断をくりかえしたのだ(親戚がやたらはなればなれにいるんです…)。で、いい加減交通費も嵩むので帰りは鈍行電車で移動し続けた。
常に電車に乗っているだけでは飽きてきてつい途中下車をしてしまったのだ。
だから滞在時間はほんの数十分、長くても小一時間ほど。駅前をうろちょろしてみただけのことなのだ。
数十の駅でそれをくりかえしていると、類似点や相違点に気づくようになってきた。なってきたら地図をつくって印をつけたくなってくるってのが人情ってもの。
『オバケダイガク』発刊の一つの道すじはそれ。
葬式だって墓だって所かわれば少しずつ仕様が違うもの。法事にはわりと古い形が残っている。今となっては意味不明な所作も先代がやってたから何の疑いもなくそのまま受けついでいるというようなものも見うけられる。
そういうのも連続して見聞きすると一覧表にしたくなってくるってのが人情ってもの。
それが第二の道すじ。
例えばこんなことがあった。福岡の祖母が死んだとき、葬儀は自宅で行ったのだが、出棺の日の朝食は、身内だけで食べるにもかかわらず、自宅ではなく寄合所の台所で炊いたものを寄合所で食した(その食事をお斎(とき)といっていた)。その支度をしてくださったのは近所の方々。私が幼い頃、おこもりといって神社におばさんたちが集まって各自が持ち寄ったおかずやロウジンガシを食べながらくっちゃべるという行事を年に何度かやっていたが、そのときの顔ぶれだった。お斎の作り方を私の祖母から習ったとおっしゃる。私は八才でその場所を離れてしまったので、今もおこもりをやっているのか聞きそびれてしまっているが。
各地で聞き歩くに、弔いのときの調理は普段使っている竃と別の竃をつくって炊くという習慣があったり(ケガレの関係なんでしょう)、神社のお堂にあがって、氏子たちが飲み食いするというのは、庚申待ちとか、お日待ちというような講の類いなのかなとだんだんわかってきた。
どうやら国内では一、二世代前まではどこの農村でも似たようなことをやっていたらしいが、同世代(当方1971年生まれです)の人と話しても同じような経験をしている人になかなか巡りあわないので、これは書いといた方がいいのかもなと思っているのは幼少時を農村部で過ごした者の老婆心だ。
なぜか私の記憶のなかで「おこもり」はとても甘美なものになっている。こんもりとした木々に囲まれたうすぐらい氏神様のお堂にあがりこみ、人々の談笑がたいして盛りあがるでもなく続いていく。それだけのことなんだが。
現在移民という状態の私には地縁につつまれた「おこもり」的なものが身のまわりにないからかもしれない。
しかし、法事の行き帰りに始まった鈍行の旅をやっているうちに「おこもり」に似たような感覚を持つことがままある。
電車の中で古参と会話しているときや、駅前の喫茶店で一服しているときや、長旅に疲れ果て途中下車で立ち寄る銭湯につかっているときなどである。
鈍行電車や、喫茶店、銭湯は地縁がある人もない人にも数百円で開かれている「おこもり」のようなものなのだ。これを利用しないテはないとばかりに、最近は各地の魚屋、肉屋、豆腐屋、荒物屋、はきもの屋、傘屋、時計屋に三匹獅子舞と手を出しているので、結局、てめえの現在の地縁をおろそかにしているというパラドクスに陥っていることはいうまでもない。
北野留美
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オバケダイガク 2011年10月号目次:錦糸町駅前「楽天地スパ」/コーヒッカップの旅20 水の都ヒストリー/DEKITAKUNAIのそのこころ3 さんじゅうななどにぶ/むじな食堂 8 道産子直伝現代石狩鍋/レタリング保存協会 コレクション23 広島己斐のグリムの洋菓子/ [2011年10月/B6/16頁/¥100] 編=北野留美 |



