どれくらい知られているのか、当舎ではライブ、映画、演劇などさまざまなイベントのチケットを取り扱っています。
で、近日開催のイベント情報のお知らせ。

●Spring Presents David Rovics Live
ニューヨーク生まれのシンガーソング・ライター。音楽を通じて「プログレッシブ・ムーブメント」を実践し、1990年代半ばからは北米だけでなく、ヨーロッパ・南米・中東など各地の集会などで歌う。その歌詞はイラク戦争・パレスチナ占領・グローバリゼーションなど様々な問題をテーマとしたもので、多くのアクティヴィズムの場で共感を広げている。2007年6月にはドイツ・ロストックG8サミットの抗議集会で演奏。続く今夏の日本ツアーの東京下北沢でのライブの取り扱っています。
日時:2007年7月21日(土曜日)18:00〜 場所:下北沢・ヘブンズ・ドア(Heaven's Door) チケット:1000円 主催:Spring

●韓国・光州マダン劇団 シンミョン来日公演
07年夏 -- 旅する「マダン」へ!
この夏、光州のマダン劇団<シンミョン>が、彼(女)らの代表的な作品・5月クッ『立ち上がる人々』を持って列島を旅します。
『立ち上がる人々』は、1980年5月の光州蜂起の記憶を現在に伝えるマダン劇です。
とはいってもそれは、80年5月の出来事をなぞったり、またその正当性を単に言い立てたりするものでもなく、ほんとうに、いま・ここにある「場」に--過ぎ去ったものでは決してない--半歩先の、未来形の記憶として甦らそうという試みなのです。
マダン劇は常に変容していきます。それは、そこに人が生きて活動しているからです。逆に、常に変容しようとするマダン劇は、私たち自身が変わってゆくことを常に要求しています。
その意味で、この地に共同で「マダン」を立ち上げようとする人々は、みな、もうひとりの<ノリペ・シンミョン>であり、いま光州にいる<ノリペ・シンミョン>は同時にもうひとりの私たち--<マダンの光 '07>であるといえるでしょう。
この夏、7月27日に、もうひとりの私たち--<シンミョン>が「マダン」を携えてやってきます。そしてその「マダン」はこの列島の下半身(関東→九州→広島→関西→名古屋→関東→…)を約1ヶ月かけて旅してゆきます。分厚い記憶の塊を、各地に、そして私たち自身の身体に、一点の光として焼き付けていこうと思っています。
ぜひともこの無謀な試みに加担してください。まだ誰も見たことのない「マダン」に身を投企してください。共謀してください。私たち自身、そして世界の変容を賭けて。
チケットは一般:2000円/中高生:1500円。
※スケジュールはこちらを参照下さい。

●野戦之月海筆子2007年公演『変幻 痂殼(かさぶた)城』
この芝居は、今年、台北(4月)、東京(7月)、北京(9月)という東アジアの三つの大都市で、〈同一の台本〉〈同一の舞台装置〉によってテント公演される。
すでに終了した台北版「変幻痂殻城」は〈台湾海筆子〉企画で台湾在住の役者・スタッフによって行われた。北京語を基本として一部台湾語を使用した。
現在準備されている東京版は、テント劇〈野戦之月海筆子〉の日本人役者・スタッフによって行われる。使用する台本は日本語で、基本的に台湾版と同一のものである。
北京公演は、台北版と東京版の二つの芝居を同一のテント、舞台装置において3日間ずつ連続して行う。北京においても台本は、北京の観客の理解に役立つための最小限の変更はあるが、基本的に台北・東京での公演と同一である。
三都市において、同一の台本、舞台装置であるということが、この芝居の特徴である。したがって、この芝居で設定される空間域は、これら東アジアの三つの大都市の様態を複合化・抽象化したものとなっている。「痂殻城」とはその想像された大都市の貧民地区を意味している。
また、この芝居においては時間帯もまた交錯している。たとえば、東京という視点からはすでに40年前の様相に思われることが、北京においては現在進行形であったり、東京においては近未来的であるだろう様相が、すでに台北においては過去の姿であったりする。また、北京の過去の様態が台北の明日を予感させたりするのである。
「二都の物語」であれば、二つの視線の交差点に互いの様相が現れるだろうが、「三つの都」を想定すれば、交差する地点は時に溶け合い分割しがたいものとして、あるいは時に無縁であるといったよそよそしさとして、観察者の感受性は瞬時に入れ替わざるをえない。観察者(観客・演者)は、自らの視点の中に、錯綜する他者性を感ずるだろう。
それは単に複雑なのではない。私らが居住している現実世界の時間帯、グローバル資本主義が強いる時間がすでにそれなのであり、その時間帯は歴史の消去によってこそ成り立っているのだ。しかし、私らはたとえ破片のようなものであるにせよ、歴史を抱えている。消去されえないもう一つの時間帯を抱えていることは自明なのだ。破片となって分有されているに違いない時間帯が、テントという一つの場で紡ぎあい流れ出すかどうか。この芝居、三つの大都市での〈テント場〉の狙いはそこにある。
近年の東アジアの大都市の趨勢は、人間が住み生きる街(領土)の消去に向かっている。人間は「住む」ことから切り離され、経済圏のモザイクの孤独な単位でしかありえない。それは、人間がその生において形づくる最低限の社会性すらが消えつつあるということだ。克服されるべき貧困・飢餓すらが、「脱領土化」されたということだ。
市場だけが唯一社会性を獲得していく。この市場の社会性が発信する情報に従い、人間はこの社会性にただただ柔軟に対処する以外にないのか。柔軟性のみが社会システムに追従できる方策だとされるのだが、実はそれは不可能なのだ。人間は柔軟ではありえないからだ。
市場の社会性を切断しようとする抵抗的な社会の発明は死活のテーマである。この芝居は三つの都市の陥落した底地に逃走することによって、あるいは自身の身体性(貧困)の様態を変幻させることによって、一夜の〈反世界〉を立ち上がらせようとするものだ。
一つだけ日本の観客のために説明させてもらう。
舞台は庚申(かのえさる)の夜である。庚申は旧暦(十干十二支)で60日に一度巡ってくる。この夜、人間の身体に住む三尸(サンシ)という赤い虫が身体から抜け出し、その人間の悪業を月に鎮座する天帝に密告に行くと伝承されている。だから、この夜は三尸(サンシ)が抜け出さないように寝ずに自分の身体の番をする。それは古来からの中華文化圏の伝承・風習だが、農村共同体にとって60日に一度だけ許される酒宴の夜でもある。それは共同体から逃亡者、密告者を出さない黙契の場だったのだろうか。共同体を維持するための知恵だったのだろうか。日本各地に伝わる祭も同様な意図を持つものがあるように思われる。
< 桜井大造 >
前売りチケット:3000円
日時: 07年7月11日(水)から15日(日) 開場7時、 開演7時30分 場所: 杉並区八幡山高井戸陸橋そば特設テント
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是非!
