Voice Of Mosakusha Online

TOPへ






きょうのチラウラの最近のブログ記事

月に一度の交流イベントスペース あかね&模索舎コラボ企画『模索舎展示即売会 inあかね』第一回ゲスト・赤木智弘氏の模様があかねスタッフ・inside-riversさんのブログで読めます。是非ご一読を!!

『模索舎展示即売会 inあかね』 第二回のゲストは『ReviewHouse』の黒瀬陽平氏です。


『アンモナイト 貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』 監督:増田俊樹さん来舎。

初日は(1月30日)は満席、立ち見が出たそうですが、事前の宣伝があまりうまくいっていないらしく、テコいれに監督自ら廻っているそうです。

「大手の映画雑誌は広告とタイアップでないと中々取り上げてくれない」とのこと。もっとも、広告タイアップ方式に依存した雑誌ですら、というか、その依存性故にか、とにかく、売れない、というのが現状です。


タイアップ広告:『アンモナイト 貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』  チケット1400円 模索舎にて発売中!!

多くの文化系雑誌が出版社の手を離れ、インディー化/ミニコミ化しつつあります。大手配給以外のインディー映画とこうした雑誌がうまく連携していればいいし、模索舎もなんかのお役に立てればいいな、と考えております、というようなお話をしました。

2月12日には 松本哉×鈴木邦男のトークショーがあるそうです。詳細は追ってお知らせします。
チラシのウラまでチラシ、がコンセプト?なこのコーナー、かつてはチラシのウラにあてどもなく書き込んだ呟きが、今日ではサイバー空間を駆け巡り、そこにチラシがついたりしているわけです。呟くのも労働だ!(ツイット&アフィリ、という意味だけではもちろんありません)。

1/30  『REVIEW HOUSE 03』を納品に編集者の方が来舎。「『REVIEW HOUSE 』はやや高踏的というか、ハイカルチャー・マガジンというか、そんな印象があったので"ゲーム実況動画"なんかを特集しているのはちょっと意外でしたね。」などとお話をしました。

 と、『歩きながら考える step4』の納品に編集者の方が来舎。どちらの方も初対面だったらしく、『REVIEW HOUSE 』の方に『歩きながら考える step4』をその場でお買い上げいただき、『歩きながら考える 』の方にも 『REVIEW HOUSE 03』をお買い上げいただく、という事に相成りました。

 納品者の方々が模索舎を通じて交流したりするのは嬉しいことです。

ウメウメ書評 小熊英二『1968』

「普通に美味しい」という言い回しがある。「普通」なのか「美味しい」のかはっきりしろ、と言いたくなる(中野重治調ー出典は忘れたのですが、「思う次第 であります」といった「主体」を放擲したいい廻しは東条や近衛の国会答弁が起源である、と指摘しています。まさに「臣民」的発話主体!)。ようするに、「あ る意味、美味しい」とか「これはこれで”アリ”だよね?」とか「こういうのが好きな人にとっては美味しいんじゃない?」とか、そういう留保やエクスキュー ズ無しに「美味しい」のだが、かといって「ものすごく美味しい」というほどではない、そういう諸条件が重なると「普通に美味しい」というフレーズが産出されていくわけです。で、「不味い」場合は「微〜妙」と言ったりする。かような言い回しをしなければならないほど他人の意見や嗜好(とりわけ味覚など客観 的な評価がし難いもの)を批判したり、対立したりすることに気を使い、神経をする減らしているわけです。

 他人の意見を尊重する、というか無関心であるべき、というリベラリズム、個人間の価値観は比較不可能という価値相対主義、こうした方法論的個人主義を前提に個々人の効用が測定され集計される。
市場経済万能主義の原典とも言える「ワルラス均衡」は、そのまま社会選択上の「パレート最適」をなす。すべては市場が決める。市場は「正義」である、が「正義」を押し付けはしない。買いたくなければ買わなければいい。買わない自由は保障されていることになっている。「ぼくはこういう感性、スゴク好きなんだけ ど、万人受けするかどうかな〜」というのは「つまらないのでこういう原稿をもち込むな」ということをやんわりと表明したい場合の編集者の常套句で、市場はあら ゆるものを数値化し、序列化しつつ、個人の価値観を否定しない。しないどころか「個性」として称揚しさえするー消費行動の主体として。市場経済的自由主義 はそのまま政治的リベラリズムへと横滑りし、さらに道徳的格率となっていく。いまや「政治的ものがいまや道徳の作業領域(レジスター)上演されてい る」(『◆政治的なものについて 』ームフ)のであります。

 ネオリベ社会ではすべてが許されている。あらゆる思考・嗜好が尊重され、リスペクトされ、同時に市場によって「評価」されるー神が死に、「あらゆることが許される」というドストエフスキー的状況?いな、ジジェクが指摘するように、「神の死」にお いては逆説的に「あらゆることが許されない」のだ。あらゆることが禁じられており、ただ一つ、許されていることは「禁欲」だ。「清貧」が称揚され、ジョギ ングとロハスが流行り、他者も私も同様あらゆることが禁じられていることを望むのだ。ー私はいつでもそれを諦める準備ができている。他者が(もまた)それ を手に入れることが(でき)ないという結果を保障される限りは!ー(『◆ロベスピエール/毛沢東  革命とテロル』 p202)。だからこそ、小熊自身がかつて俎上に載せた「草の根保守主義者」たちは、「思想」「イデオロギー」に禁欲的であるどころか、ふりかざしてさえいる (かに見える)「サヨク」、というよりもっと俗に、想像上の「語りをいれたがる団塊オヤジ(そんなのがいればの話だが)」を忌み嫌っているのではなかったか?(『〈癒し〉のナショナリズム 草の根保守運動の実証研究』)。

  すべてが客観的合理的に集計可能ならば、「政治」という固有の領域は存在意義を失う。「客観情勢」が「政治」を規定するなら、「政治」は経済学に還元されてしまう。客観的合理的に判断できない「例外状態」おける「決断」ーシュミットのみならず、経済学をも「複雑性の縮減」で裁断しがちな?システム論です ら、(というかであるがゆえに?)「決断」という契機を重視しているーを抜きにして「政治」の領域は語れない。経済学の道徳化、政治化はなにも市場経済- ネオリベにみられる現象ではない。かつての「社会科学」としてのマルクス主義(「下部構造決定論」「窮乏化論」…etc)もまた、経済が政治を決定する、 という理論構成ではなかったか?市田氏が指摘しているように、「セクト」諸党派はこの経済還元主義を疑うこと、「政治」的領域を、「決断」や「主体性」を 復権させようとすることからから生まれたのではなかったか(「過渡期世界論」「主体性論」「組織論」…etc)?セクトであるなしにかかわらず、 「1968」において賭けられていたのはまさにこの「政治/革命」ではなかったのか?

ー党と党派性が異なるように、思想と思想性は異なる。党がなくても党派性は消滅しないように、思想がないところにも思想性はある(「六八年革命は『存在』しなかった」市田良彦)ー。ネオリベ状況下においては他人 の「思想」をとやかく言ってはならない、リスペクトしなければいけない、という「思想性」が蔓延しているのだ。そのような「思想性」においては、「政治/ 革命」はあらかじめは失敗を約束されているか、はじめから存在していないのだ(「歴史の終焉」「終わりなき日常を生きろ!」)。とすれば、「心理学化」さ れた「歴史社会学」的手法によって「1968」描くことは、二重の誤りをおかすことになりはしないか?「1968」の「政治/革命」を捉え損なうこと、それによって現在の「政治/革命」の不在/不可能性を追認してしまうこと、である。

と言ったことを考えながら『1968』を読んでみてはいかがでしょうか?


●小熊英二関連:いろいろ書きましたが、小熊氏の「歴史社会学」的手法による著作はどれも面白い。

単一民族神話の起源 〈日本人〉の自画像の系譜
〈日本人〉の境界 ──沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで
〈民主〉と〈愛国〉 ──戦後日本のナショナリズムと公共性

などは、『坂野上の雲』がいまさら?プチブームな昨今、あらためて読み返されるべき素晴らしい業績です。
(『司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』なども参照)


●小熊英二『1968』関連

1968 (上 ) 若者たちの叛乱とその背景
1968 (下 ) 叛乱の終焉とその遺産

情況 2009年12月号 特集=1.小熊英二『1968』 2.日大全共闘とは何か
長崎浩、三上治、高橋順一各氏が書評をよせております。どれも参考になります。特に市田良彦氏の書評は鋭い。以下抜粋。

… 彼らはそれぞれが還元不可能な「個性」をもっている存在、つまり「私はこのように受け取った」と言えばそれを信じるしかない権利主体であるから、本性的に <足し算>を拒む。ゆえにその全体に対しては、これも「一つの視点ですよ」と断りを入れた上で、他所から私の「視点」を被せるしかない。いかに「学問」の 名においてもち込まれようと、小熊はそれをもち込む正当性については、当事者たちを前にして彼らと同じ「心理学」を根拠とするほかないのだ。私はあなたの 視点を否定しません。私の視点は「一つ」の、つまりあなたと同じく「それぞれ」の次元に属する視点にすぎません。所属する時代情況が異なっているだけの。 「それぞれの『一九六八』を否定しない」良心は、小熊の「歴史社会学」を再心理学化する。「心理学」的主体をいくら足し合わせても、大きな同じく「心理 学」的な主体にしかなることはできない。その上での社会学であり、歴史学であり、それらの適用でしかない。P52 「六八年革命は『存在』しなかった」


●カールシュミット関連:「政治」を考える上でやはり欠かせない古典

政治的なものの概念
政治的なものという概念規定は、特に政治的な諸範疇をみいだし確定することによって獲得されうる。すなわち、政治的なものには、それに特有の標識ー人間の思考や行動のさまざまな、相対的に独立した領域、特に道徳的、美的、経済的なものに対して独自の仕方で作用するーがあるのである p14

パルチザンの理論 政治的なものの概念についての中間所見

正戦と内戦 カール・シュミットの国際秩序思想
最近矢部史郎氏が「海賊」について書いています。
情況 2009年12月号 特集=1.小熊英二『1968』 2.日大全共闘とは何か
「現代日本におけるアナキズムとは」
VOL lexicon など)
「海賊」は、反グローバリズム(「海」の秩序)の対抗原理として「国家」(「陸」の秩序)を過大評価してしまう、という陥穽から逃れるための思想的拠点たりえるのか?とか気になる方は一読を!




きょうのチラウラ 12/7

チラシのウラまでチラシ、です。

まとめて報告。

11月某日 『蜜月』の方が来舎。納品は初めて。『蜜月』という実話誌や夕刊タブロイド的タイトルは素晴らしい。「ミニコミ界激震!!模索舎と『蜜月』の蜜月状態」という文字が電車の吊り広告に踊る日を夢みて、蜜月化に邁進しております。

12月某日 葬式ミニコミ『葬3号』ができました。今年の模索舎MVPミニコミ(あくまでも、模索舎スタッフ ひ。の個人的見解です)。ちなみに昨年はぶっちぎり、満票でブスミニコミ『バハマ』(現在お取り扱いしておりません)。『葬』の場合は、審査委員会紛糾のあげく決まったカンジで、選考委員の一部(だれ?)が選考に不満を漏らしたりするような受賞であります。それでもMVPはMVPです。なんにもでませんが。情報誌に掲載された切り抜きを店に張っているラーメン屋みたいで嫌なのですが、先日取材を受けた雑誌『サイゾー』にもMVP(のひとつ)としてあげました。そのうち発売されるはず。

選考理由:
・葬式DIYという発想が素晴らしい。「結婚と葬式は段取りがとても似ています。一方は半年も前から準備して、もう一方は三日ですべて終わらせる」(創刊号より)。なるほど、そのとおり!高齢化社会、老後の不安、格差社会、貧困、などが社会問題化されて久しいのですが、家族制度、地域社会の崩壊と相まって、葬式への関心は高まりつつあると思われます。映画『おくりびと』もヒットしたし。ジミ婚や手づくり結婚式が主流になりつつある昨今、葬式にもDYIの波が?

葬3号』はかかわいいにゃんこが表紙!葬式雑誌らしくないせいか、手に取る客が少ない気がする。MVP受賞後だけにチト残念!
(『葬1号』『葬2号』も発売中!!)

12月某日 『K.F.L』の方が上京する。模索舎は初めて、とのこと。かなり面白い方で、かなり長時間お話をしました。年内には最新号発売予定!!
『K.F.L 1号』『K.F.L 2号』発売中です!!)

●ブブ96には模索舎スタッフ・カシマのステキなマンガが掲載されています。是非ご一読を!!


チラシのウラまでチラシです。

『トランジスター・プレス』(◆ゴスペル◆黄色い象絶賛発売中!)の佐藤さん来舎。『THE Day's of Beat』というフリーペーパーを持ってきていただきました。少しばかり抜粋します。

今度、イーディー・ケルアック・パーカーという女性のメモワールを出版することになりました。イーディは1940年代〜50年代のアメリカで青春を過ごした女性です。「ケルアック」という名前にピン!ときた方がいらしたらうれしいです。そう、彼女は『オン・ザ・ロード』を書いたビートの代表作家ジャン・ケルアックの最初のパートナーなのです。

12月には関連イベントもあるそうです。詳細は追ってお知らせします。

beat.jpg

チラシのウラまでチラシなのです、はい。

11/3
 『ILLEASTRECORD』というインディーレーベルの方がCD『Guerrilla DEMOnstration Sound/悪霊』を納品にいらっしゃいました。元舎員・kendiによると、地域ラップというか、地域HIPHOPというか、とにかく、都内および東京近郊では、地域のアンチャンたちがスペースを作り、ライブをやり、CDを出す、というムーブメント?がキてるそうな。『ILLEASTRECORD』の方もでっかいラジカセ(断固としてラジカセでなければならないのだ!)で路上ライブをやってるそうです。
  模索舎も売り上げが落ち込み、WEBに活路を見出さんとしているのですが、書籍より、音楽や映像のほうがWEB展開向きなのかもしれませんね、WEB上で立ち読みさせるより、試聴させるほうがはるかに簡単ですものね、といったお話をしました。『Guerrilla DEMOnstration Sound/悪霊』の試聴はこちら

11/4
 バンタン映画映像学院生の自主上映イベント『エネフレッシュ』の方来舎。「自主法政祭市ヶ谷地区企画「映像と社会。〜法政大学で考える〜」で模索舎営業担当・えのに声をかけられたのだそうです(ボーナスの査定とかはないです)。 男女のペアで来舎されたのですが、とくに女性の方は営業上手!!出版社の営業の方でもなかなかああはいかない。聞けばまだ一年生なのだそうです。模索舎には映画関係のミニコミもたくさんあるので、出店をお願いしました。

  「チラシ置かせてただけませんか?」「もちらん、よろこんで」と、いつものごとくチラシを受け取る。見れば、「11.20アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺3周年・追悼特別上映会」できれば模索舎で出店したいのですが、とお願いする。「チェチェン関連ですと、高文研の『チェチェンで何が起こっているのか』などありますが」とお話しすると、なんと、「著者なんです」とのお答え。「チェチェン関連書籍はあまりないでしょうから、パレスチナ関連とか、イラク関連とかのものも含めてたらいいのでは」とアドバイスしていただきました。 それから『チェチェン 廃墟に生きる戦争孤児たち』(白水社)(近日中に入荷します)を薦めていただきました。
 うかつなことに、『チェチェンで何が起こっているのか』は共著、いらっしゃったのが林克明さんだったのか、大富亮さんだったのか、確認しておりません。間抜けすぎる。


※「11.20アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺3周年・追悼特別上映会
上映後トークイベント:林克明×寺中純×大富亮
模索舎でチケット販売(¥1000)いたします。

<関連書籍>
チェチェン民族学序説 その倫理、規範、文化、宗教=ウェズデンゲル
プーチン政権の闇 チェチェン戦争/独裁/要人暗殺
チェチェンで何が起こっているのか

2日前のことですが、金井勝氏が所用で来舎。金井勝氏といえば『金井勝の世界 The world of Kanai Katsu』が絶賛発売中!、『模索舎月報09-6月号』ではインタビューさせていただきました。

 少しばかり金井氏のことを。今年の2月、品のいいナイスミドルが来舎、「DVDを作ったんだけど、こちらに置いてもらえる?」とのこと。模索舎は基本的に無審査、来るものは拒まず、という方針なので、「もちろん、よろこんで!」とお答えしました。「一本20,000円なんだけどね」と金井氏。正直に言いますと、その時は『無人列島』等の作品でその筋ではかなり高名な方、ということを知らず、「20,000円のDVDが売れんのか?」と半信半疑でした。で、「とりあえずビール」よろしく「とりあえず3本」納品をお願いしました。
  ところが!ふたを開けてみれば、これが売れる!瞬く間に売り切れ、追加注文!問い合わせもかなりあり、累計20本ぐらい売れているハズ。狐につままれたような気分。

とある団子屋、ふらりとじい様が現れ団子を食いまくる、ところがお代の段になると持ち合わせがない。と、じい様、さらさらと絵を描き始め、句なんかもつけちゃって、「じゃあ、これをお代替わりに」。団子屋の主(寺島進あたり)、「どうせ身寄りのない気の毒なじいさまだろう」と独り合点し、「ああ、お代はいいよ」といいつつ画を受け取る。後日、近所のご隠居さんなんかが来て、「おや、何だね、あの画は?」「へい、最近食い逃げのじいさまがおりまして、お代替わりに、と置いていきまして。食い逃げの割には案外風流なのでせっかくだから、てんで飾っております」「あれゃ、有名な金井先生の画だよ!オメェんとこの団子なんぞこの画一枚で三べん生まれ変わったってまだ喰い切れねえような代もんだよ!」

といった落語の人情話のような妄想に浸ってしまったのでありました。

※『模索舎月報09-6月号』金井勝インタビューでは『ゲロダク』の方に協力していただきました。

●ゲロダク初登場』『 ●ゲロダク 2号』 好評発売中です。
チラシの裏までチラシなのだ!!

8/20、「傑・力・珍・怪 映画祭」(模索舎にてチケット販売中)を観に行く。

 チビッコのころに読んだ子ども向け歴史物語のなかに『鉄砲伝来物語』、とかなんとかという一話があった。種子島に漂流したポルトガル人の火縄銃を見よう見まねで地元の鍛冶屋かなんかが作ってみる、が、製造過程でどうしてもわからない箇所があって、それを聞き出すために鍛冶屋の娘がポルトガル人に売られていく、というお話だった、ような気がする。その後、戦国から織豊政権期の日本の鉄砲生産量は世界一?となったそうで、自動車産業をはじめとする製造業における「世界に冠たる産業立国ニッポン」の原型はこのころからあったんだよ!?とか言いたがる「司馬史観」好みのエピソードの一つであります。
 片手で拳銃をバンバン撃ってバンバン当たる、というのは映画の中のお約束で、数多の狙撃事件が示す通り、かなり標的に接近しないと当たらないものらしい。弾丸を発射させ、なおかつ標的に当てるのはじつはかなりムズカシイことなのではないか?拳銃とはようするに、火薬を爆発させ、鉛の弾を鋼鉄の筒から発射させるのだから、銃を暴発させず、かつ、爆発力を弾丸に伝え、さらに、まっすぐ飛ばす、というのはかなりの技術がいるものなのでしょう。鉄の硬度なんかも気になります。柔かったらダメだろうし、硬すぎたら暴発してしまいそう。

『大拳銃』は「拳銃」が主人公の映画であります。鋼鉄に穴を穿ち、弾丸をヤスリで磨き、火薬を詰る―地味で単調な作業の果てに、ようやく拳銃は完成する―。拳銃がズシリと「重い」のは、鋼鉄できているから、だけではない。トリガーを解き放った時、弾丸が飛び出すのか、拳銃そのものが爆弾となるのか―撃つ/撃たないを巡る駆け引きで魅せるアクションも素晴らしい。

その他、痛い!&主演の女子がかわいらしい『魔眼』、酒池肉林の地獄絵図を描いた紙芝居アニメ『人喰山』なども上映。映画祭は9月4日まで。チケットは模索舎で!!


8/22は boid presents 「真夜中の湾祭り」 。舎内でしょっちゅうサンプルをかけているのですが、「悩みはただ 習慣でしかない」(『湯浅湾』ー「傷口は傷口でしかない」) というフレーズには激しく身につまされる。「悩む」という生活習慣病に心身ともに浸食されがちなので、御歳52の湯浅学氏が時々間違えたり、足がつったりしつつも、元気にステージをこなす様にはほっとさせられます。大友良英氏も出演しておりました。湯浅湾のCD『』は模索舎でお買い求め下さい。


8/23   『ハリネコ”presentsたまちしゃfeat.さんごじゅなす2』  ヴォーカル&ピアノ・沙知氏が自由に歌い、ピアノを叩き、”クールなレフィティー”、ドラマー・諏訪創氏が応戦し、うんこ氏が舞う―ハリネコはフリーポップなのだ!!(by沙知)―ハリネコさんのCD『いつとなる』は模索舎で絶賛発売中です。…しかし、「うんこ」ってなんだよ!?MCでボーカルの方が「うんこちゃんが〜」を連発していたので笑いをこらえるのに苦労しました(MCでは模索舎の宣伝もして頂きました。ありがとうございました)。


129077.jpg

◆〈CD〉湯浅湾『港』

[2009年4月/全12曲/¥2,200+110] 《boid cdy-001》 制作・発売=boid













129874.jpg

●〈CD〉いつとなる/ハリネコ

[2009年3月/約40分/¥1,000] 発行=ハリネコ

<   2016年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フリーペーパー版模索舎月報
  • 2011:10:10:20:20:21 フリーペーパー版模索舎月報11年10月号配布中!! (10/10)

web版 模索舎月報