模索舎とは
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模索舎とは

模索舎は、東京一の繁華街・新宿の、はずれに位置する小さな小さな本屋です。
 新宿駅から大通りを歩いて約10分。新宿駅周辺の喧騒もそろそろ終わるあたりの、ビル街の一角に店を構えています。外見は山小屋のような風格(?)ある店構えで、店内には市民運動団体の作ったパンフレット・ニュース、同人誌・個人誌、政治党派の機関紙類、そして社会・人文書を中心とした出版社の本などが、ところ狭しと並べられています。
 取扱いジャンルは、部落解放・人権・在日・天皇制・教育・環境等、社会問題を扱ったものが中心ですが、思想・哲学や音楽・芸術、そして漫画も置いています。また絵はがき・バッヂ等のグッズ類、CD・カセットなども揃えています。
 このようにジャンルはとても幅広いのですが、模索舎に並んでいるミニコミの多くは、これらが「商業ベースにのらない」、あるいは「もともと商業ベースにのせる目的で作られていない」などの理由で、他の本屋さんに行ってもなかなか見つからないし、また取り寄せることもできないものです。このため模索舎は、他の大部分の書店では探すことができない情報・資料を求める多くの人に、利用されています。模索舎ではまた、これらの貴重なミニコミを紹介する『模索舎月報』と『定期刊行物リスト』(年度版)を発行しています。新宿の店にはなかなか来ることの出来ない利用者が、この冊子を利用して、模索舎に納品されるミニコミを通信販売で購入しています。
 こんなところが模索舎の簡単な紹介になります。ではどうして私たちは、このようなミニコミ(自主流通出版物)を扱う書店が必要だと考えているのでしょうか。

■流通状況

 現在の日本では、日々莫大な数の本・雑誌が生産されています。
そしてこれらの大部分が、“取次店”と呼ばれる少数の巨大な卸問屋を通して、全国の何万という書店に流されているのです。
このように莫大な数の表現物(出版物)を、全国に散らばる何万という書店に流通させる機能を作りあげてきた、現況の日本の出版流通システムの果たしてきた役割は、決して過小評価されるべきものではありません。
しかし一方で、この完成されたかのような流通システムが数多くの小さな表現物の入り込む余地をなくし、結果的にこれらを締め出してきたことも見落としてはいけないと思います。
表現物(出版物)と呼ばれるものは、町の本屋さんに並んでいる、つまり取次店を介して流通した立派な体裁を整えた本・雑誌だけではありません。
数多くの人たちが、自分たちの表現を自分たちの手で作っているのです。

 現況の主要流通ルートに乗らない小さな表現物(出版物)も、人に伝えるために作られたものである限りは、表現者以外の第三者に伝えられ読まれなければ、その意義を十分に発揮しているとは言えないでしょう。
書店の立場で言うと表現物(出版物)は、誰もが自由に様々な表現・思想を得ることの出来る開かれた空間−書店に並ぶことで、その意義をいくぶんかは発揮することができるのではないかと考えます。

■模索舎の目的

 表現・言論活動は多様性が保障された方が、より健全だと思います。
表現・言論活動の多様性を保障するには、これを媒介するメディア・流通に多様性をもたせることが不可欠です。
模索舎はこの多様性の一役を担うため、取次店を介した主要出版流通ルートに対する“もうひとつの”流通をめざし、自主流通出版物(ミニコミ)を主要に取り扱っています。


※「ミニコミ」とは……模索舎では、主要取次店(トーハン・日販など)に取引口座を持たない、一般の流通ルートに乗らない出版物(自主流通出版物)を指しています。これは書店流通を基準としたひとつの分類方法で、出版部数、装丁やページ数、商売としての発行物か否かといった要素は考慮していません。


<資料>模索舎創成期の歴史(『模索舎通信 創刊号』1980年10月発行ーより)

70年夏(月日不明)    「ライン出版」総会で”たまり場”とミニコミセンターを創ることを提起。   
1970年9月15日    中江ビル(現在地)と賃借契約。   
70年10月上旬    会社設立(有限会社コミニケート舎)   
1970年10月28日    営業開始   
1971年10月28日    1周年記念パーティー、『SM戦線』創刊。   
1972年4月29日    シコシコ閉鎖。意向自力更生で、解体・改装作業   
1972年5月22日    新装「」情報センターへのシコシコ・模索舎」オープン   
1972年7月26日    『四畳半襖の下張』押収    この関係の詳しい年表は『四畳半・わいせつ・模索舎ー裁判資料集』第一幕114〜5頁に。
1972年8月25日    抗議集会「叛春本退治ー夏の夜に贈る四谷性談」四谷公会堂にて、参加者600名。   
1972年9月25日    『モテック通信』創刊号発行。   
1973年3月23日    模索舎・四畳半裁判、東京地裁第一回公判。   
1973年10月1日    『四畳半・わいせつ・模索舎ー裁判資料集』第一幕発行。   
1974年9月4日    神田のウニタ書舗、爆取四条関連で捜査押収。続けて12.2、12、11と捜査押収。   
1974年11月1日    ウニタ事件に関し、模索舎・モテック共同で声明。『モテック通信』月刊化決定。   
1975年2月1日    「読む権利を奪わせない集会」全電通ホールにて、参加者500名。集会後「読む権利を奪わせない連絡会議」発足。   
1975年6月30日    「『腹腹時計』印刷所弾圧を告発する集会」全電通会議室にて、主催=読む権利を奪わせない連絡会議   
1975年10月28日    模索舎五周年記念パーティー    ラシントンパレスにて    参加者200名。『SM戦線』6号発行
1976年5月24日    「今こそ読む権利・知る権利を!集会」    全電通ホールにて    主催=読む権利を奪わせない連絡会議
76年8月中旬    『モテック通信』27号製作中、印刷所のあいだ工房から「表紙がイヤで刷れない」との指摘。以降わいせつとわいせつ表現、模索舎の自己表現をめぐっての内部討論始まる。       
1976年8月24日    「四谷性談76    判決前のおおさわぎ」四谷公会堂にて   
1976年12月6日    『金芝河・良心宣言』(金芝河らを助ける会・日韓連の製作・発行)の配布トラブルに関する話し合い、発行責任者和田春樹氏欠席により流会。       
1976年12月23日    模索舎・四畳半裁判    東京地裁にて判決有罪。。同夕、判決パーティー、参加者100名。   
1977年1月1日    『対決・刑法一七五条』編集完了。表紙のデザインに関し亜紀書房側と数度の話し合いを行うが解決せず。模索舎の同意なきも「表紙の決定権は版元にあり」と亜紀書房は発行決定。       
77年6月中旬    『対決・刑法一七五条』発行される。       
77.6月〜8月    『金芝河・良心宣言』『対決一七五条』問題を含め山積みする矛盾をどうするか、模索舎の内部討論深刻化。       
1977年9月15日    声明「模索舎運動の総括へ向けて    私たちは、提起します」作成。『モテック通信』32号に掲載。   
77年9月下旬〜10月上旬    「声明」について「毎日」「朝日」が”閉店決定”と誤報。対応に苦慮する。朝日の方が悪質なため抗議行動。       
1977年12月2日    模索舎運動の総括と今後に関し「模索舎利用者会議」(第一回)行う。参加者32名。       
1978年2月23日    総括作業は継続、営業は維持を確認。       
1979年1月1日    「新しく出発します」と年賀状発送。       
79年2月25〜3月9    店の内外全面改装。外装は専門家に、内装は自力で。       
1979年10月4日    模索舎・四畳半裁判    東京高裁判決    控訴棄却=有罪。
1980年5月10日    「日本図書コード」システムを拒否する「声明」作成、『モテック通信』40号に掲載。
80年5月下旬    『モテック通信』40号発行。これにて終刊。
1980年7月4日    図書コードの問題を考える会主催の「本の総背番号生を裁く」集会に模索舎も参加、発言。