ミ○キーは本当は何の味だったのか?

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書評などを。
 巷では「2007年問題」が取りざたされております。BSEや鳥インフルエンザ、雪印や不二家など食品会社の不祥事なども影響してか、田舎で農業なんかやりながらリアタイア後の第二の人生を過ごしたいな、と思っている方も沢山いらっしゃることでしょう。あんまりいないかもしれないけど、いることにしていただかないと話が進まないので、ここは曲げて、いる、ということで話を進めましょう。
 模索舎にも農業/食関係のコーナーはあって、現代社会における「食」の問題に焦点を当てた本が沢山あります。農業のハウ・ツーものもあります。ある、ていうか、仕入たからあるんじゃん!、というツッミをはさておき、現代の大量消費社会、なにが安全なのか、何を食べるべきなのか?ということを突き詰めて行くと、答え・その一 食べられるものがないので食べない、ということになってしまいます。そうはいかないので、答え・その2 できるだけ加工食品は食べない、ということになり、行き着く所は答え・その三 自分で作るということになるわけです。
 農作物であれば、農薬や化学肥料の有無、生産地、遺伝子組み換え等をとりあえずチェックすればいい、というか、よくないのかもしれませんが、いいということにして話を進めます、が、「肉」になると、牛や豚等肉になる動物が何を食べているのかまで気にしなければならない。農薬や保存料などは食物連鎖のより上位にあるものにより大きな問題となる。より安全に食べようとすると、肉は野菜以上によりリスクがありコストがかかる、という問題と、健康・美容問題があいまって、肉を食わない、という選択をしている方が増えているのではないか。肉食はどこか文明社会の腐敗と虚飾の象徴でもある。肉牛一頭育てる飼料で〜人分の命が救えるのだ、という第三世界問題もあいまって肉食にはどこか「罪」のにおいがする。さらに「日本人」の「仏教的」浄穢観がそれを補強している、と推測しているのだが如何に?
 「答え・その2 できるだけ加工食品は食べない」を選択した方が肉を食わなくなるのはわかる。しかし、「答え・その三 自分で作る」を選択した方、あるいは選択しようとしている方は肉も自分で作る、つまり家畜を育て自らの手で屠殺する、ということも視野に入れているのであろうか?当然入れている、方もいらっしゃるでしょうが、どうも、自分で作る、の範疇に農産物はあっても肉はあんまり考慮に入れられてないのではないか?「自分、肉が好きなので退職後は田舎で家畜を飼いたいです。自分で屠殺して食いたいです」という方はあまりいらっしゃらないのではないか?実際、「やさしい家畜の飼い方」とか「屠畜の楽しみ」とかゆうたぐいの本はあんまりないのですよ。まあ「第二の人生」派の場合は、年とると肉を食えなくなる、ということに過ぎないのかもしれませんが。

「世界屠畜紀行」(著=内澤旬子 発=解放出版社  2,310円(税込)は屠畜のハウ・ツーもの、ではなくて、アメリカ、イラン、エジプト、韓国、などなど、世界各地の「動物が肉になるまで」のイラスト付きルポです。「屠畜」という作業にスポットを当てつつ、各地域の文化にふれられるし、現代社会において、食とは、生命とは、について考えさせられます。

「血のしたたるステーキ」が富と成功のシンボルであった時代は終わり、チエーンの焼肉屋で輸入牛肉を化学調味料たっぷりなタレで食べてるヤツは「負け組」で、「勝ち組」は無農薬の有機野菜なんか食べているに違いないのだ、という予断と偏見に囚われ、素直に「肉が好きだ」と言えない貴方(おれのことか?)、は、ぜひ一読を! [ひ。]

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このページは、ひ。が2007年2月18日 13:57に書いたブログ記事です。

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