先日初めてアマゾンを利用。
自主流通出版物を専門に扱う模索舎のスタッフがアマゾン使うのかよ、と嘆きの声が聞こえてきそう。
まあそう早合点せずに、もうすこしお付き合い下さい。
いやー、すごいね脅威ですよこれは。
速い、安い、簡単---在庫があればその日に届くし、1500円以上だと送料無料。例えば輸入盤だと路面量販店にくらべて遥かに安いものもある。
利用者にとってはこの上なく、合理的なのです。
忙しくて書店に行く暇がないからついついカチッとクリックしちゃうんだよねー、とは知人の弁。
ベストセラーなど特定の商品を買おうと決めている人をはじめ、それこそ書淫ならばがつがつクリックしているのではないでしょうか。
このワンクリックこそ、合理性の裏表のフェティシズム、インターネット時代のフェティシズムなのではないかというのは、強調しておいてよいかと。
ついでにいえば、私なんかは手に取って確認したいタイプですが、直取引していない版元の本が欲しい時に他の書店にいって確認する余裕はないので、書肆情報をたよりに神田村で注文したりしています。
さて先程、利用者にとってはと書きましたが、合理性の背後には熾烈なコストの移動があります。
そして、まさにそれを描いたのが、
『アマゾン・ドット・コムの光と影』(2005年4月発行、著=横田増生 発=情報センター出版局 1600+80円)。←模索舎で買ってね!!!!!!!
巨大な自社物流センター、物流会社への業務委託、商品の低正味買取、ブックオフの影、そして時給900円で交換可能な労働力商品として働く人々。
出版業界の最前線がここに見えるはず。
また、このような出版流通の合理化を可能にしたのが、ISBN(国際標準図書番号)です。
さらにいえば、経済的な合理性とは別の問題もあります。電子端末による書肆情報検索が支配的な今日、ISBNのない情報にアクセスすることが困難であるということです。これは憲法で保障された「知る権利」にも大きく関わります。
(ここらへんの問題は『出版流通合理化構想の検証』(2005年10月発行、 著=湯浅俊彦 発=ポット出版 2800+140円)を参照。)
現在すでに、音楽もテクストもデジタルデータで小単位から購入できるようになっており、その流れは一層押し進められ止まることはないでしょう。
デジタルディバイドのなど問題はあれど、反射的にナンセンス!などというのは短絡的すぎるので思考します。
重要なのは、新技術とどの様に関わっていくのかということ。
新技術とは常に支配的な形で私たちの前に現れます。それらをいかに多様に開いていくのかが問われているのです。
もちろん、マスに規定されない(いや、むしろ規定されているのかもしれないけど、だからこそ重要な)インディペンデントな動きは昔からあり、やりたいことをやりたいように、時にコンフリクトをかかえながらも実践しているのです。
身近なところでは、ご近所のirregular rhythm asylumや、そこのブログで知ったLilmag Store(野中モモさんが運営)に注目しています。フリーペーパーをこういったかたちで流通させるなんて、本当にすごい。
当舎は、自主流通出版物取扱書店と銘うって37年目、やはり近年ではミニコミの持ち込みもいくらか減少傾向---もちろん表現の媒体を紙からインターネットへ移した人達も多くいるでしょう---ですが、だからこそ、様々なインディペンデントな情報の流通を維持することの意味と意義を改めて考えていきたいと思います。