2007年1月アーカイブ

 今年もはじまって半月過ぎたところですが、新しいカレンダーが入荷しました。
『寝たらいいじゃないカレンダー』(制作/発行=奥野火ヨ、600円)――寝そべった女のイラストと手書き文字が描かれた月めくりカレンダーです。「納品したからには売りたいです!」とその場でポップまで書いてくれた作者の勢いが嬉しく、レジ前にコーナーを作りました。巷ではカレンダー商戦も終わりを告げ始める頃ですが、いいじゃあないですか。やる気まんまんの手づくりカレンダー、福が来そうだ、アタイは買うよ!そして売る!(これ大事)
 他にもオススメカレンダーは残ってるし、値引きしたもの(ダイアリー1点)もあるので、このコーナー、ちょっと見に来てみて下さい。

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 あと、さんざんここで告知していた萱野稔人さんのトークショー&新年会は無事に終わりました。楽しかった。萱野さんの物事をみる視線のブレのなさ(…運動側からの視点を忘れない姿勢といいましょうか)、また、質問者に丁寧に応えている様子が印象的でした。今回初めて来られた、というファンのお客さんも来てくださいました。現在、当日録音した内容をチェック中。当webでのアップを視野に入れているのですが、初めての作業。うまくいくかしら…。[わた]

先日初めてアマゾンを利用。
自主流通出版物を専門に扱う模索舎のスタッフがアマゾン使うのかよ、と嘆きの声が聞こえてきそう。
まあそう早合点せずに、もうすこしお付き合い下さい。

いやー、すごいね脅威ですよこれは。
速い、安い、簡単---在庫があればその日に届くし、1500円以上だと送料無料。例えば輸入盤だと路面量販店にくらべて遥かに安いものもある。
利用者にとってはこの上なく、合理的なのです。
忙しくて書店に行く暇がないからついついカチッとクリックしちゃうんだよねー、とは知人の弁。
ベストセラーなど特定の商品を買おうと決めている人をはじめ、それこそ書淫ならばがつがつクリックしているのではないでしょうか。
このワンクリックこそ、合理性の裏表のフェティシズム、インターネット時代のフェティシズムなのではないかというのは、強調しておいてよいかと。
ついでにいえば、私なんかは手に取って確認したいタイプですが、直取引していない版元の本が欲しい時に他の書店にいって確認する余裕はないので、書肆情報をたよりに神田村で注文したりしています。

さて先程、利用者にとってはと書きましたが、合理性の背後には熾烈なコストの移動があります。
そして、まさにそれを描いたのが、
『アマゾン・ドット・コムの光と影』(2005年4月発行、著=横田増生 発=情報センター出版局 1600+80円)。←模索舎で買ってね!!!!!!!
巨大な自社物流センター、物流会社への業務委託、商品の低正味買取、ブックオフの影、そして時給900円で交換可能な労働力商品として働く人々。
出版業界の最前線がここに見えるはず。

また、このような出版流通の合理化を可能にしたのが、ISBN(国際標準図書番号)です。
さらにいえば、経済的な合理性とは別の問題もあります。電子端末による書肆情報検索が支配的な今日、ISBNのない情報にアクセスすることが困難であるということです。これは憲法で保障された「知る権利」にも大きく関わります。
(ここらへんの問題は『出版流通合理化構想の検証』(2005年10月発行、 著=湯浅俊彦 発=ポット出版 2800+140円)を参照。)

現在すでに、音楽もテクストもデジタルデータで小単位から購入できるようになっており、その流れは一層押し進められ止まることはないでしょう。
デジタルディバイドのなど問題はあれど、反射的にナンセンス!などというのは短絡的すぎるので思考します。
重要なのは、新技術とどの様に関わっていくのかということ。
新技術とは常に支配的な形で私たちの前に現れます。それらをいかに多様に開いていくのかが問われているのです。

もちろん、マスに規定されない(いや、むしろ規定されているのかもしれないけど、だからこそ重要な)インディペンデントな動きは昔からあり、やりたいことをやりたいように、時にコンフリクトをかかえながらも実践しているのです。
身近なところでは、ご近所のirregular rhythm asylumや、そこのブログで知ったLilmag Store(野中モモさんが運営)に注目しています。フリーペーパーをこういったかたちで流通させるなんて、本当にすごい。

当舎は、自主流通出版物取扱書店と銘うって37年目、やはり近年ではミニコミの持ち込みもいくらか減少傾向---もちろん表現の媒体を紙からインターネットへ移した人達も多くいるでしょう---ですが、だからこそ、様々なインディペンデントな情報の流通を維持することの意味と意義を改めて考えていきたいと思います。

諜報の認識論

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書評などを。
『諜報機関にだまされるな!』(ちくま新書632)(著=野田敬生 税込価格¥777 筑摩書房)
 筆者は元公安調査庁でCIAに研修経験あり。
インテリジェンス/インフォーメーション、諜報/操作、パズル/ミステリー等多、諜報活動の基本概念について適宜解説しながら、イラク、アルカイダ、朝鮮半島情勢等の諜報活動を分析していく内容で、タイトルから暴露本的なものを期待した読者は肩すかしを食うかも。
 諜報活動に関するアポリアは非自然科学的分析全般にあてあてはまる。先に出てきたパズル/ミステリーを例にとろう。「パズル」とは「情報がそろえば解ける」問題であり、「ミステリー」とは「現状では予測不能」な問題である。諜報される側は諜報されていることを知れば予定の行動を変更するか、さらには裏を掻こうとするだろう。だから実際には諜報が扱う問題は多かれ少なかれ「ミステリー」なのである。そして、多くの問題が「ミステリー」であるが故に、諜報機関は調査される側に介入することによって、予想の正しさを「立証」してしまうのである。
 だから『諜報機関にだまされるな!』というタイトルには二重の意味が込められている。つまり、「諜報機関のだまそうとして意図的に流すニセの情報」にだまされるな!といういことと、「諜報機関は実は素で誤っていることがある」がゆえにだまされるな!ということ、である。 (ひ。)

A:5 5 5 5 5 
B:2 4 6 20 30

という二つの数字の並びがあったとして、どちらにより秩序があると考えられるでしょうか?
 一つの考え方として、「Aは同一の数字が並んでおり、Bはバラバラである。よってAにより秩序がある」というものがあります。たしかに、全て同じである、ということは何か安心感を与えてくれますね。
同一性が秩序を感じさせるものとしてユニフォームがあります。団体スポーツ、学校の制服、軍隊、警察等、同じ格好をすることは秩序の象徴であります。
 見方を変えて、もしAの並びが競馬や競輪のオッズだとしたらどうでしょうか(テラセンはないものとする)?つまり、以下のようになります。

A:単勝
車番 1 2  3 4  5
---------------------------
倍  5 5  5 5  5 

B:単勝
車番 1 2  3 4  5
-------------------------
倍   2 4  6 20 30

Aは、どの馬ないし選手が勝っても全て同じ5倍の配当となっていて、すべての馬ないし選手の力量が同等であり何が勝ってもおかしくない、という投票者の予想あらわしているわけです。このようなレースは“予想が難しい”レースといわれます。逆にBのオッズは本命-対抗がはっきりしており、Aの場合よりも予想がたてやすい、つまり、「秩序がある」ということになります。「全てが同一」ということは同時に「全て区別がつかない=無秩序」ということでもあるのです。
 さきに「同一性=秩序」の例としてにユニフォームを挙げましたが、よく考えればユニフォームは実は同一ではないのです。どういうことかというと、例えば野球のユニフォームであれば背番号が違うのです。背番号まで同じではいけませんね。(ゴレンジャーの中に赤レンジャーが二人いて怪人に「しっかりせえ!」と説教されるダウンタウンのコントを思い出します)。ユニフォームの同一性は敵と味方を区別するためにあるわけで、まず敵と味方を区別し、そのあとで味方を区別するために背番号を付けるわけです。
 軍隊であれば、軍服は味方であることの標ということになります。しかし、軍服による敵-味方の識別には、敵が同じ軍服を着て味方に紛れ込む危機-つまりスパイが紛れ込む危機が常につきまとうのです。
だから、軍隊や警察は入隊時に「身分照会」を厳重にやるのです。外からは同じように見えても、階級や部署等で厳密に個別化されているわけです。ここでもまず敵と味方を区別し、そのあとで味方を区別するわけですね。
 スパイは、敵の中にあって敵に味方だと思わせると同時に、敵に気づかれずに味方にだけ味方であると識別されなければなりません。そのためには敵には気づかれず味方にだけわかるような標が必要なのですが、それはまた敵に気づかれる原因にもなるわけです。だからスパイの極限とは敵そのものになる、ということです。忍者漫画にでてくる“草”ですね。
 大衆社会における「群衆」はその同一性ゆえに無秩序への「恐怖」を呼び起こします。いったい、「恐怖」とは誰の、誰に対する「恐怖」なのでしょうか?それは為政者が「群衆」に覚える「恐怖」であり、同時に「群衆」が「群衆」自身に対して覚える「恐怖」です。為政者が「群衆」に恐怖を覚えるとき、「群衆」を「身分照会」しようと躍起になります。「群衆」が「群衆」自身に恐怖を覚えるときどうなるのでしょうか?「群衆」は「より大きな力による秩序」を欲望する--とすれば、もう一つの恐怖、つまり、「為政者の力が強大になることに対する群衆の恐怖」を同時に召喚してしまうのです。いやそれ以上に重要なのは、「『群衆』は『より大きな力による秩序』を欲望する結果、より為政者を恐るべきものとしてしまう」、と「群衆」自身が「群衆」想像してしまうことによって、群衆自身が群衆それ自身への恐怖と為政者への恐怖へと分裂してしまうこと--なのです。
 さきのレースのたとえで言うと、ギャンブラーはAのような予想の難しいレースが続くとウンザリし、Bのような本命-対抗がはっきりしたレースを望みます。反面、Bのようなレースばかり続きかつ本命が勝ってばかりいると、「なんっにもねぇっ!」とこれまた怒り出します。つまり、強力な本命による秩序と予想可能性と大穴への夢想とのあいだでつねに引き裂かれているのです。

しつこいようですが、
2007年1月13日(土曜日) 18:00〜 模索舎にて
『カネと暴力の系譜学』(発=河出書房新社) 刊行記念
萱野稔人トークイベント
をやります。
 カネと暴力、国家とは何か、自然状態、社会契約論、友-敵関係、規律-訓練、非行性と合法性、私のコト・・・好きですか?等々、萱野先生に何でも聞いてください!
(ひ。)
                                                                                                                               

みなさん、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか?
当舎の年末29日はにぎやかに店内忘年会、その翌30日はしめやかに棚卸しをしました。
大晦日、明けて三ヶ日はお休み。
その間、個人的には何をしていたかというと…お笑い番組ばかり見てました。んなこと言う割に、笑ってはいけない罰ゲームの最後一瞬ウトウトしたり、お笑いウルトラクイズの途中で眠りこけたり、東西寄席の録画に失敗したり、さんまのまんまスペシャルを見逃したり…よーするにぼーっとしてた、ちゅーことですな。
そんなこんなで(なにがそんなこんなだ)、もう営業してます。とりあえず年末までは無休。遊びに来てね!今年もよろしくお願いします。あと、13日(土)は萱野さんトークショー&新年会をやります。ぜひ![わた]

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