模索舎store
当ページに掲載されていない商品も多数ございます。 右の「サイト内検索」でお探しになるか、電話、 メールにてお問い合わせください。

 

[2017年10月/四六判/624頁/¥3,900+312] 
編=10・8山﨑博昭プロジェクト 
発行=合同出版フォレスト 
発売元=合同出版

序文-10・8山﨑博昭プロジェクト

山﨑博昭の生涯
あゝをとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ | 山﨑建夫

山﨑博昭の遺稿から
日記
ノート ある対話
書簡

第1部 10・8から50年を経て
警察官が山﨑博昭君を警棒で殴り倒した真実は、動かせない | 小長井良浩
弁天橋に言った理由 | 北本修二
繰り返される変奏曲 | 佐々木幹郎
10・8羽田と山﨑博昭こそ人生の原点 | 辻恵
あの日の思い出 | 三田誠広
いま、反戦を掲げることの意味 | 宮本光晴
私を変えた10・8 | 下重暁子
半世紀後に10・8を回顧して | 山本義隆
こんな社会に誰がした? | 上野千鶴子
ちりちりする思い出-「おくれてきた青年」の | 鷲田清一
追憶の1967年 | 高橋源一郎
死者との共闘-『バリケード・1966年2月』刊行の後先 | 福島泰樹
短歌に刻印された安保闘争 | 道浦母都子
モニュメントの夢が実現、そして感謝 | 水戸喜世子

第2章 1967年10月8日 羽田
橋上にて | 田谷幸雄
山﨑博昭君と共に! | 板倉元朝
山﨑博昭の思い出 | 黒瀬準
10・8 こもごも50年 | 向千衣子
三つの羽田闘争を駆け抜けて | 水谷けい子
1967年10月8日の記憶 | 原田誠之
10・8のこと | 北村智子
1967年10月8日羽田-一つの経験 | 塩川伸明
山﨑博昭さんの「死」に怒り、更に一歩歩を進めた者として | 重信房子
私の10月8日 | 高橋寿臣
私の羽田体験が生み出したもの | 白川由岐夫
砂川でのベトナム反戦闘争と10・8の記憶 | 島田清作
戦場は遥かになりて-往時茫々、記憶の断片 | 島元健作
歴史の構築は無名のひとたちの記憶に掲げられる | 佐々木葉二

第3部 同時代を生きて-山﨑博昭の意志を永遠に
私の秘密 | 加藤典洋
小さな「足跡」が大きなうねりの「航跡」となることを願って-山﨑博昭追悼モニュメントの建立に寄せて | 篠原美樹子
弁天橋のドン・キホーテたち | 田島正樹
10・8から50年を生きて | 赤松英一
山﨑君への手紙 | 岩脇正人
山﨑君とこの50年 | 伊藤啓志
ベトナム反戦運動を支えた情念 | 中村充
私たちに鎮魂歌がうたえるか あるいは50年後の追悼とは何か | 島元恵子
「ぼくらの中のベトナム」と山﨑君の死 | 長沼節夫
あれから50年が過ぎた | 山村多貴輝
山﨑博昭さんの死から50年、願わくば終焉のときまで | 近藤ゆり子
全共闘は「10・8」から生まれたのか? | 添田馨
「夢のように夢ではない」思想の継承 | 高野博三
ベトナム戦争と私の『されどわれらが日々』 | 山口研一郎
あの頃のわたし | 宮本隆司
「山﨑博昭さんの生と死」は、今に何を伝え続けているのか | 脇田愉司
私にとっての10・8 | 掲田崇徳
「10・8」の衝撃を受けて | 小泉雅英
私の70年 | 大塩剛
私にとっての10・8 | 片見冨士夫
問いかける、生きることの意味 | 岡田新一郎
10・8羽田闘争と山﨑博昭さんの死から高校生全共闘運動へ-生をめぐる想像力を解き放ち、存在の根源へ | 石橋浩治
元全共闘世代の責任として、山﨑さんの闘いを引き継ぐ | 浅野健一
われらの狂気を鎮める要石を動かせない方法を教えよ | 前田和夫
山﨑博昭君50周年忌に際して-最期まで、君の分まで生きて行きます | 小西隆裕
朝鮮研究者から見た山﨑博昭さんの死の意味 | 真鍋祐子
羽田の記憶 | 福井紳一
山﨑博昭さん以後の時代の旅 | 牧田満智子
おくれてきた私も、弁天橋の上で泣いた! | 林郁

賛同人から一言
碑をめぐる追想-旧東独の旅と1960年代の精神史から | 折原浩

第4部 歪められた真実
「10・8山﨑博昭プロジェクト」のために-権力とメディア | 鈴木道彦
50年目の真相究明-山﨑博昭君の死因をめぐって | 辻恵+事務局


10・8山﨑博昭プロジェクトについて-趣意書「わたしたちはここで泣く!」+発起人・賛同人一覧 山﨑博昭略歴
後書-10・8山﨑博昭プロジェクト編集委員会 | 佐々木幹郎